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村人たちが続々と起きて、朝の農作業を始めていた。毎日当たり前の光景だった。でも、そんな何気ない光景も、もう今日で見納めだ。
あたしは、今度いつここに戻ってこられるか、正直わからない。
………もちろん、絶対に戻ってきてやるけど。
死んだりなんてしないわ。絶対。
それと同じようにリザは、父は生きていると無条件で信じていた。
太陽の光が、村の隅々まで照らしていた。
朝独特の太陽の紅い光で、村全体も紅く見えた。それはそれは、美しい光景だった。世界の原始の光景でも見ているような気分だ。生まれたばかりの世界は、黄金色に輝いて、こんなにも美しいものだったことを初めて知る。
(まあ、いつもお昼ごろ起床だったし………)
懐かしいと思った。そう、今までは普通にお昼ごろに起きて、母から「あなた、相変わらず起きるの遅いわねぇ」と笑いながら言われる。それがごく普通の日常だった。けれど、明日朝起きたときは、もう自分は一人なのだ。ついさっき、ようやく「自分はいよいよ旅に出るんだ」と実感が湧いてきたばかりで、まだ、明日の朝目覚めたときに自分はどんな心地がするのかなんてまったく想像もつかないが。
リザは村の外に出た。外から自分の生まれた村を見るのもまた、残りあとわずかだから。
不思議と、寂しさはまったくといっていいほどない。むしろ、自分を待ち受けている未知の世界に対する期待と興奮で、胸が一杯だった。言い古された言葉だが、「世界が自分を待っている」、まさにそんな感じだった。
(父さんも、きっとこんな気持ちだったんだわ)
今ならわかる。父の気持ちが。
そして、母の気持ちも。
(母さんは、父さんの気持ちを知っていたから、あたしの気持ちもわかってくれたんだわ)
寛大な母だと思った。
母が、小さい頃によく、口癖のように「女は待つ生き物なのよ」と言っていたことを思い出された。「そういう意味だったのか」と、自分も旅立つ今になってその意味を理解する。
「待つ女」。その言葉が印象的だった。でも、自分は間違いなく「待つ女」ではないと思うリザだ。
(だって、あたしは結婚なんてしないもの。恋愛も、興味がないわ)
自分と同じ年頃の村の娘たちの悩み事といえば、色恋のことばかりだった。中には、すでに結婚してしまった少女もいた。リザは、そんな友人たちを不思議に思う。いや、きっと彼女たちにしてみたら、自分の方が不思議な存在なんだろう。
(恋愛に興味ないのって、あたしくらいだし)
思い出して、リザは小さく笑った。
そんなことも、今となっては懐かしい思い出に変わろうとしている。
感慨深い思いが胸に湧く。
リザは改めて、村の全貌を眺めた。
(あたしをここまで育ててくれてありがとう)
心の底から、そう思った。
朝の涼しい風が、頬をなでる。朝日が、リザを暖かく照らしていた。
太陽だけは世界中のどこから眺めても同じで、だから、きっと太陽だけが、旅をしている自分と故郷をつなぐ唯一の絆になるのだろうと、おぼろげながらリザはそう思った。
リザは村の外をずっと行ったところにある、一本の高い木のそばにいた。この辺りでは、木はこの一本のみだった。だから、この木の周りは見渡す限り果てしなく広がる草原が続くのみである。
その木はすっとしなやかに、天高くそびえている。それは所々に繊細な黄緑色の葉を茂らせている。その威風堂々たる姿は、数百年もの長い間変わらずにここに在ったであろうことをその身でもって証明していた。
その木は今、生まれたての太陽の光を浴びて、透明な紅色の光を放って孤高に立っていた。何者をも立ち入ることを許さないような、透明な空間。
リザの本来の目的は、この木に宿るサラを迎えに来ることだった。しかし、いつもとは違うその木の神聖さに、打たれたようリザは立ち止まり、しばらく茫然とその景色に見入っていた。
サラはもうすでに起きていた。茫然と突っ立っているリザに気付くと、サラはにっこりと笑った。
「おはよう、リザ。……この木、すごく綺麗でしょ?」
「おはよう、サラ。……ほんと、すごく綺麗ね」
なんだか、お互いいつもと違った雰囲気だ。そう、お互い、心の底から湧き踊るような興奮が抑えられないのだ。
我知らずと漏れてくる笑みが、なんだか無性に可笑しかった。
笑いをこらえているお互いがそんなお互いの顔を見て、とうとう堪え切れずに吹き出した。
朝の澄んだ空気の中に、二人の楽しげな笑い声がはじける。
果てし無く広い草原が、これだけ大らかな気持ちを誘うのかもしれなかった。
――――――そう、あたしは、とうとう、今日、旅立つのよ!!
未知の世界への期待に、胸がはちきれそうだ。こうやってサラと話している間にも、「その時」はいよいよ近づきつつあるのだ。
リザは、昼過ぎにはもう旅立つつもりでいた。午後も過ぎて太陽が沈んでくると、寂しくなってしまってしまうのは目に見えているからだ。
旅立ちまで、あと数刻――――――――。