15

「おはようございます、お姉様。もうお昼ですよ」
 そんな言葉で、フェオラの意識は覚醒した。ぼんやりと目を開けると、どうやら自分は妹の膝枕で寝ていたらしいことに気付く。気付いたとたん、フェオラは急いで飛びのいた。
 空を見上げると、確かにもうすでに太陽が中天にまで達していて、気温もそれなりに暖かかった。
「すまない! おまえは、眠れたのか?」
「ええ、私は大丈夫ですわ、お姉様。私は明け方に目を覚ましたのですけれど、お姉様はぐっすりと眠っていらしたようなので、私が勝手にお姉様の頭を、私のひざの上に乗せたのです。だから、気にしないでください」
 そう言って微笑む妹の顔には、もはや昨夜の頼りなさは微塵もなかった。どこか、しっかりしたように思える。以前の妹にはなかった雰囲気だった。
(今までは、どこか頼りなさげな感じがしたのに、いったいいつの間に)
 フェオラは驚いていた。いやむしろ自分の方が、妹よりも今では頼りないのかもしれない。おぼろげながら、昨夜は妹に慰められた記憶がある。その記憶の中の妹は、自分の妹とは思えないほどにしっかりしていたような気がする。
 頼りないのは自分だ、と思う。自分が、頼りないばかりに、妹がその分強くなったのかもしれない。いや、きっとそうにちがいないのだ。
 フェオラはしみじみと言った。
「リィザは、強くなったな。………私の、せいだな。すまない」
 すると、リィザはびっくりしたように目を見開いた。
「お姉様?」
 一体突然どうしたのか、といった感じだ。リィザは、あの気位の高い姉が、自分に謝っているという事実が信じがたかったのだ。
「私が頼りないばかりに、おまえが強くならざるを得なかった。幼いおまえは、辛いはずなのに……」
 リィザは、その姉の言葉に激昂した。
「お姉様。私とて、もう大人です。いつまでも「頼りない妹」ではございませんわ。このようになってしまった以上、もう、お姉様ばかりに頼っているわけにもいかない。………一人で、生きてゆかなくてはならないのですから」
「何を言う! 私は、ずっとおまえと一緒にいる! お父様とお母様の死に対面したときから、私はそう心に誓っていたのだ」
 リィザは小さく首を振った。
「いいえ、お姉様はまちがっていらっしゃる」
 ばっさりと、断定する。
「何が………まちがっていると………?」
 怒りのあまり、フェオラの顔から完全に血の気が失せていた。無意識のうちに、手を握りこぶしにして、その握りこぶしをわなわなと震せている。
 そんなフェオラの様子を、リィザは静かに観察している。
 フェオラは耐えられなかった。そして、大きな衝撃を受けた。
 今まで、妹が私に反抗したことがあっただろうか? これまで妹が、私の意見を拒否したことがあっただろうか?
 答えは、否である。
 はじめは、妹の気が狂ったのかとも思ってみたが、何のことはない、顔は冷静そのものに今の自分を観察している。
 その事実は、フェオラには耐え難いことだった。
 妹の前で、自分が醜態をさらしている? 抑えきれない感情を表している?
 なんたる屈辱だろう。
 これで、妹の方もまた抑えきれない感情を表していればまだ救いようがあったが、しかし今は明らかに自分より下であるはずの妹の方が一枚上手だった。
 その事実にフェオラは愕然とする。今まで、こんなことはなかった。
 衝撃の事実にどこまでもフェオラは打ちのめされた。

「私の、何がまちがっている………と?」

 声が掠れていた。そんな自分が悔しかったし、もしこのことに妹が気付いていたらと思うと、フェオラは途方もない屈辱を感じた。
 しかし、ここで取り乱して怒り出すのは、もっとみっともなかった。少なくとも今の時点で、相手の意見に理がある以上、自分はその意見を受け入れざるを得ないのだ。

「お姉様は、まちがっていらっしゃる」

 もう一度、静かに重ねて言う。
 断罪するような、言い方だった。
 二重にフェオラはショックを受ける。
「誰かが、誰かに背負われて生きていくことなんて、できないのよ、お姉様。私も、そんな生き方は嫌だわ。誰かに完全に背負われていくということは、自分が責任を取らなくてもいい代わりに、自分の自由がなくなってしまう」
 一言一言区切って、ゆっくりと、聞き分けのない子供に言い聞かせるような調子で言う。
 フェオラは、自分の顔が引きつるのがわかった。相変わらず、妹は冷静に自分を観察している。
 限界だった。
「私は、何もおまえに私の言うことを聞け、とは言ってない」
「いいえ、言ってる。だってその証拠に、先ほどお姉様は、私が口答えしたことに対して怒っていらっしゃったでしょう?」
 フェオラは言い返せなかった。その通りだと思ったから。
「でしょう? いくら頭では支配しているつもりはなくても、相手が言うことを聞かなかったら、自分の思うとおりにしなかったら、腹を立てるのよ。それを、支配している、というのよ。お姉様?」
 えらそうな言い方ではなかった。妹は、ただ淡々と、事実のみを述べているだけだった。なのに、こんなにも今、自分が居心地の悪さを感じているのはどうしてだろう? やはり、自分は今まで妹を支配してきたのだろうか?
  
 一方でリィザは、姉がこんなに辛そうな顔をしていることが信じられなかった。また同時に、姉にこんな顔をさせてしまった自分を思って、心が痛かった。
(もう、あの頃には戻れないのね。何もかも、変わってしまったわ………)
 リィザはなるべく動揺を表情(かお)に出さず、言葉を正した。
 いつもの気丈な姉に戻ってほしかった。
「ごめんなさい、お姉様。そんなことが言いたいのではなくて………。お姉様が、私のことを心配してそう言ってくださっているのはわかってるし、本当にうれしい。でも、もう、お姉様のお荷物にはなりたくないのよ。上下関係ではなくて、対等の立場で私を見てほしいの。お父様とお母様がお亡くなりになられて、つらいのはお姉様も同じでしょう? その悲しみと今後の責任を、独りだけで背負おうとなさっているお姉様を、私は見ていたくない。
 私はもう、以前の弱い私じゃない。お姉様のお荷物ではなくて、お姉さまと同じ視点でものを見て、同じことを感じて、喜びも、悲しみも、すべて分かち合いたいの。私は、お姉様を支えたい。だから、お願い………何でも独りで抱え込んでしまわないで………」
 リィザはひしと、姉の漆黒の瞳を見据える。想いのすべてを視線だけで伝えるつもりで、リィザは姉を見つめる。

 そしてリィザの願いどおり、フェオラは妹の本気を悟った。そして、一言だけ言う。
「………強くなったな、本当に」
 その言葉が、肯定を表していた。
 とたんに、リィザの顔がゆるゆると笑顔に変わる。
 フェオラはその笑顔を、目映い思いで眺めた。
「本当に、強くなったな………」
 フェオラは、妹の怒涛の成長に感嘆した。それどころか、尊敬の念すら浮かぶ。

―――――たった一晩で、これほどまでに人間が変わるとは!

 昨夜わんわんと泣いて妹とは似ても似つかないほどの、力強い雰囲気が新たにその身に備わっていることにフェオラは気付いた。「もう、リィザは私がいなくても生きてゆけるだろう」と、おぼろげに思う。いやむしろ、リィザがいなくては生きてゆけないのは、自分の方かもしれないとすら思う。そしてきっと、それはまちがっていない。悔しいし、認めたくはないけれど。
 そんな姉の思いを知ってか知らずか、リィザは元気よく言った。

「じゃあ、もう行こう。「お姉ちゃん」!」

(今、リィザは「お姉ちゃん」と言った?)
 その疑問が顔に出たのだろう。笑ってリィザは答える。
「だって、私たちの身に残されているものは、この身体と命だけ。「お姉様」なんて呼んでいると、かえって怪しまれるわ。これからは、なるべく口語で話さないとね」
 そう言ってリィザはからっと笑った。
「なるほど」
「うん、そうそう。さあ、早く行こう!」
 フェオラは、今だ妹の成長振りに心をとられていて、ぼんやりとしていた。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
 リィザが、フェオラの顔の前でひらひらと手をかざす。その様子からは、父と母と、生活のすべてを失った悲しみなど、微塵も感じさせなかった。
 そのことを疑問に思ったフェオラは、率直に妹に問う。

「おまえは………悲しくはないのか?」


 その言葉は、リィザの必死の虚勢を突き崩すには十分すぎるほどの、まさしく「真剣」だった。
 刃のように真剣な姉の気持ちに、偽りの気持ちを返すことは、リィザには出来なかった。
「そんなわけ、ないじゃない……」
 リィザは必死で声を絞り出す。泣くまいと、唇をかみ締めて。
「だって、胸が張り裂けそうなほどに、痛い。何の罪もない多くの民衆の命が失われたこととが、もちろんお父様とお母様が………炎に焼かれてしまったこと………イスハルーン帝国の王が憎いし、お父様やお母様のことを考えると、本当に死んでしまいたい、哀しい、切ない、やるせない………! なんで私は何もできなかったの!? なんでお母様とお父様を助けられなかったの!? なんで罪のない民を救えなかったの!? 王女なのに、なんで………………………!」
 泣くまいとして一気に言い切ったが、還ってそれは逆効果だったようだ。
 必死で押さえつけていた感情のたががはずれて爆発する。
 みるみるうちに、リィザの目に涙が溜まり、たまったそれがつうっと滑り落ちた。
 泣きたいわけではないけれど、感情が暴発して、心の器に収まりきらなかったその激情が涙となって流れ落ちたのだと、フェオラは理解した。
 そんな泣き方をするリィザを見ていると、自分まで泣きたくなる。
「――――――すべてが、憎い! 大っ嫌いよ! 死んでしまいたいわ、ほんとは。ほんとは、死んでしまいたいのよぉぉぉぉぉっ!! この、呪われた命を、この手で、断ち切ってやりたいのに…………!」
 リィザは狂ったように泣き叫ぶ。今まで泣くことを自分に禁じてきた分の反動が今きたのだ。
 妹の心の、一番奥の、一番柔らかい部分から、血がどくどくと溢れ出している―――――。
 それは、心の致命傷にも等しかった。
 なおも狂ったようにリィザは泣き叫ぶ。
「死んでやるわ……死んで…………! でも―――――――」
 その続きは、いまや妹の魂の片割れともいえるべき自分には痛いほどにわかりすぎた。


 魂が共鳴する。


――――――――――死ねない!!

 


 気付かぬうちに自分も泣いていることに、液体が頬を伝う感覚で気付いた。
 きっと自分たちは、この傷を一生抱えて生きてゆかなければならないのだろう。それは、きっとこの後の自分たちの人生で、楔になるにちがいなかった。
 どのようにその傷を乗り越えて生きてゆくのか。
 そこに、きっとその人の生き様があるのだと思う。
 憎んで生きるのも、人生。楽しく生きるのも、人生。
 ならば、楽しく生きたいに決まっている。
 妹は、だからこそ、無理にでも笑おうとしたのだと、今はっきりとフェオラは悟る。
 以前の妹からは考えられない成長だ。そして、そこに、妹の強さがあるのだとフェオラははっきりと気付いた。
(きっと、リィザならこの先の人生大丈夫だろう………)
 妹ほどに成長できてはいない自分を後ろ暗く思いながら、フェオラは思うのだった。

 

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