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 ひっそりと青年がシリウスの部屋を訪れた。重大かつ深刻な事実を伝えるために。
「どうかしたのか? シーリス」
 乳兄弟のシーリスのただならぬ雰囲気を感じ取り、シリウスの顔にも緊張が走る。そんなシリウスの様子にお構いなく、シーリスは部屋に入ってくるなり開口一番に事実を告げた。シリウスが受けるであろう衝撃など考えもせずに。そのときのシーリスには、そんなことにまで気を配る心の余裕がなかったのだ。
「エルフィーア王国が……侵略されました」
 そう告げるシーリスの顔は顔面蒼白である。心なしか、体も小刻みに震えているようだった。
 乳兄弟が何を言っているのか、シリウスはまったくもって理解できなかった。ただ、彼の様子から「ただごとではない」ということだけ、シリウスは理解する。
「は? ……どこに?」
 だからついつい、口をついて出た言葉は的を得ないものになってしまう。それだけシーリスの口から出た言葉は、シリウスの理解の範疇を超えていたのである。「一体こいつは何がいいたいのだ?」とその表情が言っている。
「もちろん、我が国に、ですよ、王子」
 シーリスはもどかしい思いで、わざわざ一言一言区切って、伝える。
 シリウスはそれでも、シーリスが何を言っているのかまったく理解できていない様子だった。
 シーリスは一つ大きくため息をつく。そして、じっとシリウスの目を見つめる。
「いいですか? 王子。これからわたしが何を言っても驚かないでください。これからわたしの言うことは嘘でも冗談でも貴方をからかっているわけでもありませんからね」
 シリウスは息を呑んで無言でうなずいた。全力で聞く姿勢を作る。
 そんなシリウスの様子を確認して、シーリスはゆっくりと口を開く。
「ええ。我がイスハルーン帝国が、先ほどエルフィーア王国を制圧したようです。すでに王と王妃は死亡が確認されています。そして王女姉妹は行方不明だそうです。おそらく、もう生きてはいないだろうということです」
 一瞬でシリウスの顔が強張った。
 今シーリスはさらりととんでもないことを言ってのけた。
 シリウスはまず自分の耳を疑う。
(いや……そんなことがあるはずがない……)
「な……な……一体どういう……ぼくは何も言っていない。一体どうなっているんだ……?」
 シリウスの顔は完全に顔面蒼白だった。感情では今の言葉は聞きまちがいだと信じたかったが、心のどこかではとんでもないことが自分のあずかり知れぬところで起こってしまったことがわかっていた。それも、取り返しのつかないような、凄惨なことが―――――。
「ジールの………単独行動です、王子」
 その一言ですべてが繋がる。
 やはり、と思った。
「あいつ………また勝手に………」
 まず沸き起こった感情は、腹の底から湧いてくる、煮えたぎるような静かな怒り。
「また……第一王位継承者であるこのぼくを無視してあいつが………」
 今回のことがもし事実なのだとすれば―――――いや、間違いなく事実なのだろうが―――――、到底高々宰相の一存で許されるような行為ではない。この第一王位継承者であるシリウスに最終判断を仰ぐというのが正しい筋道というものである。にもかかわらず、ジールはシリウスを無視した。
 そして、何の罪もない人々を、だまし討ち同然の卑怯な方法で攻め滅ぼした―――――。
 シリウスは許せなかった。
 自分が18歳であれば王位につけるのに、と今まで何度悔しく思ったことか。そして、今回ほど自分が17歳であることを歯痒く思ったことはない。
 イスハルーン帝国では18歳になるまで王位につくことは許されていない。王である父は病床についているため、現在実質的に政権を握っているのは宰相のジールだった。
 とにかく、何もかもが許せず、そして最終的に諸々の激情は怒りの太い束となって、諸悪の根源であるジールに向かって収束してゆく。
 腹の底から煮えたぎるような怒りが静かに湧いてくる。
 シリウスは、間もなく起こるであろう凄惨な事態を予測して意識が遠のきそうになった。
 エルフィーア王国とは盟友の関係にあり、イスハルーン帝国にとってはもっとも重要な国だった。バルーザ大陸をちょうど半分に分割するように南北に走るテール山脈を挟んで、西に位置する大国イスハルーン帝国がバルーザ大陸の西半分の国々を、東に位置する大国エルフィーア王国がバルーザ大陸の東半分の国々をお互いが協力し合ってそれぞれ平和に統治していた。両国の緊密な連携のお陰で、ここ数十年間バルーザ大陸全土は平和に治まっていたのだ。その両の天秤のうちの錘の一つがなくなってしまえば―――――このバルーザ大陸の国々の均衡が崩れるのは必須だ。

―――――何と、いうことを………!

(このままでは……もうすぐ戦争が始まってしまう……!)
 シリウスはシーリスの顔を見る。シーリスは沈痛な面持ちのまま、黙ってうなずく。
「王子のご想像の通り、このままでは―――――間もなく戦争が始まってしまいます」
 これからこのバルーザ大陸はどうなってしまうのか。
 想像もできない。
 想像することすらも恐ろしい。
 二人はまだ若かった。戦争など経験したことのない年代である。だから、戦争といわれてもまったく実感が湧かなかった。
 ただ、何となく途轍もなく恐ろしいことが起ころうとしている―――――。
 そのことだけは聡明な二人は否応なくわからざるを得ないのだった。 

 

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