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そしてシーリスが去った後、シリウスはじっとこれから起こりうる戦争について考えていた。 最近ますますジールの独裁ともいえる行動が目立ってきた今、考えられることは唯一つ。 ジールはこの大陸の均衡を崩し、そして戦争を引き起こさせ、いずれはこのバルーザ大陸を支配するつもりなのではないか。それだけは何とかして阻止しなければならない。 そう思い至ったとたん、シリウスの心に底知れぬ恐怖が突き抜ける。
(このままではぼくは殺されてしまう―――――!)
閃いた瞬間、これから起こりうる戦争のことなど、すっかりシリウスの思考から消し飛んでいた。代わりに頭を占めているのは、死への恐怖。今、これほどまで近くに死の存在を感じたことはなかった。これから起こりうる戦争のことよりも、シリウスにとっては自分の命の方がはるかに重要だったのだ。 ジールは目的のために、この国を自由にしたいにちがいない。そして、そのためにはこの国の第一王位継承者である自分が邪魔になることは必須。おそらくこのままだと間違いなく自分は18歳になる前に殺される。 現実を受け入れようと葛藤するが、恐れの方が勝って恐れのあまりに意識が遠のきそうになる。
――――――まだ、死にたくなどない―――――!
――――――どうしたらいい………?
(国を出なければ………) 静かに湧きあがる思い。 それが自分を守るための唯一の方法。 病床の父にこれ以上心配はかけたくなかった。自分がこの王宮に留まれば、何か危険な目に遭ったときにその情報が父の耳に入ることになり、必ず父は日夜息子である自分が何か危険な目に遭っていないか心配するようになるだろう。それは間違いなく父の命を縮めることになる。 母はそんな病床の父に付きっ切りで看病している。母にも余計な心配はかけたくなかった。 自分とてもう17歳なのだ。もう子供という年齢ではない。あと1年もすれば成人するという立派な年齢である。 (何のための頭だ! 何のために今までぼくは人よりも上質な教育を受けてきた? 何のためにぼくは今まで剣術を修めてきた?) 自分の頭の貯蔵庫にある莫大な知識も、イスハルーン帝国開催の剣術大会で1位を取ったその剣の腕前も、今まで何の役にも立ててこなかった。 「こんな時こそ役に立てなくてどうするんだ……!」 シリウスは手を握り締めた。 「守られてばかりの王子なんて……この国には必要ない!」 (自分の命すら自分で守れない王子なんて、この国には必要ない……) シリウスは静かにあることを決意した。 シリウスは早速自分の机に向かい、羽根ペンをとり、近くにあった羊皮紙の切れ端にこう書き付けた。
『ぼくは旅に出ます。世界を見たいから。だから、心配しないでください。ぼくは必ず生きて帰ってきますから シリウス・ルーディア・フォルス・イスハルーン』
幸いにも父と母はジールのことを勘付いてはいない。だから正直に自分の置手紙を信じるだろう。 シリウスは手早く準備を整えた。防寒用のマントに平民と同じ質素な麻の貫頭衣にズボン。厨房からこっそりと失敬してきた乾いた肉などの保存食と、麻袋にたっぷりと入れた水。そして、万が一のときのために、こっそりと自分の王冠を最後に袋に詰める。 眼下には果てし無い砂漠が広がっていた。 この無機質な砂漠を、これから自分はひたすら進んで行かなければならないのだ。 この果てしのない砂漠を見ていると、底なしの不安が湧き上がってくる。 今までぬくぬくと王宮で守られて育ってきた自分に、一体何ができるのか、と。 でも、自分は国を出るしかないのだ。 わかってはいるものの、湧き上がってくる不安を抑えることはできない。それは、旅に出たら、命を落としてしまうかもしれないという死への恐怖がどうしても湧き上がってきてしまうからだった。
自分が死んだらどうなる? 父や母は? この国は? バルーザ大陸は?
意味もないことをつらつらと考えて、恐怖する。
怖い。
恐い。
――――――――死にたくない!
落ち込むところまで落ち込んでも、最終的に行き着くのはたった一つの結論だけだった。
――――――国を出るしかない。
もし、何か王宮で事が起これば、いくら自分で自分の命を守れたとしても、その事実を隠し通すことはほぼ不可能。「王子の命が狙われた」という事実はひそやかに人の口から口へと伝わり、噂が城内を、ひいては国内を駆け巡り、果ては国外にも流れ、バルーザ大陸中が大騒ぎになることは間違いがないように思われた。それだけは何としても避けたい。 シリウスはそっとため息をついた。 もうごちゃごちゃ考えるのはよそう。 自分には国を出るしか選択肢がないのだから。 「そう。今回のことは、きっと神様がぼくに与えた試練にちがいない」 いずれは王となるこの身。この国を平和に守るため、ひいてはこの大陸の平和を守るためには、やはり様々な国を巡って見聞を広め、知識を得ることは決して無駄にはなるまい。たとえそれが命を危険にさらすようなことがあっても―――――、
――――――そんなことで命を落とすような器の王なんて、この国にはいらない―――――!
そんな強い思いが、衝撃となって身体中を駆け抜けた。 シリウスは強く神に、そして自分に誓った。
―――――ぼくは、必ずこの困難を乗り越えて、立派な王になる……!
必ず、たとえ何があったとしても、この国を、そしてこの大陸を守れるだけの力をつけて、必ずイスハルーン帝国に戻ってくるのだ。 一度そう決意したとたん、思考は現実的な方向に働き始める。 (どうせぼくは国を出なければならないのだから、せっかくの機会だ。他国に協力を仰ぐなりして、ジール打倒のために尽力した方が得策だな) シリウスは自然とその美しい顔に不敵な微笑を湛えていた。 まるで先ほどまでの不安が嘘のようだ。そう、事実シリウスの心には、一点たりとも不安の入り込む余地などなく、今は「次期国王」としての初めての自分の仕事のことで一杯だった。 まだ起こってもいないことを思い悩んでも仕方がない。だから、もう考えない。 今は「次期国王」として、また自分として、自分ができることを精一杯やるのみだ。 心の底から湧きあがってくる興奮とうれしさと、自信。 (ぼくは、ようやく自分で何かをすることができるんだ……!) はちきれんばかりの喜びを胸に、シリウスは真夜中になるのを待ち、こっそりと窓から抜け出し、城の裏門から果てし無く広がる砂漠に飛び出した。 空に浮かぶ冴え冴えとした皓々たる満月が、砂漠に鮮烈な光を投げかけていた。 |