7

 空には無数の星が瞬いていた。そろそろもう夜更け過ぎだろうか。
 フェオラとリィザは、ぐんと冷え込む草原の夜を越すために、焚き火をしていた。薄いひらひらした、レースをふんだんにあつかった寝間着のまま逃げてきたから、夜の草原の刺すように冷たい風は、女性である二人の身体にこたえる。焚き火もせずに眠ってしまったら、間違いなく凍え死んでしまうだろうとすら思えるくらいに、空気は冷たかった。
 何ももって逃げてこなかったから、これからどうやって生活していけばいいのか、二人は皆目見当もつかなかった。強いて言えば、常に護身用に携帯していた王家の紋章入りの短剣があるくらいだ。食料も、水も、何一つとして二人は持っていなかった。
 こんな事態になってはじめて、二人は今までどれだけ自分たちが、周囲から大切にされて育ってきたかを痛感した。
「私たちは、みんながいなければ、一人で生きていくことすらできないのだな………」
 自嘲気味にフェオラは笑う。
「そうね、お姉様……。今までは、「お城」というシェルターでぬくぬくとあたしたちは育ってきたわ。何一つ、庶民たちの暮らしを知ろうともしなかった」
「そうだな。私たちは、あまりにも何も知らなさ過ぎたのだ」
「でも、お姉様は女性でありながら、剣の腕前を認められて、騎士団の団長をなさっていたではありませんか。戦などで野営も体験なさっているから、私よりはいろいろご存知じゃありません?」
「いいや。私は、野営地でも「姫」という理由で、私の周りのことは下々の者たちがやってくれていた。だから、私も本当に何も知らないのだ」
「そうですか……」
 会話が途切れて、不意に沈黙が落ちる。
 沈黙が重かった。
 きっと思っていることは同じだった。
 ここには、自分たちの愛すべき人たちは、もうすでにいない。
  その事実は、少女たちから生きる希望を奪ってしまった。
 今までそばにいるのが当たり前だった人たちが突然いなくなると、余計に感じる喪失感は大きい。例えて言うなら、突然空気がなくなってしまうようなものだ。空気はいつもそこにあるのが当たり前すぎて、普段は感謝なんてしない。でも、突然空気がなくなってしまったら、生きてゆくことはできない。フェオラとリザにとって、両親とはそういう空気みたいな存在だったのだ。なくてはならないものだった。その「空気」同然の両親が、突然いなくなってしまった――――。

 ――――――お父様とお母様は、炎に焼かれてしまった………!!

 それは、あまりにも酷い、到底受け入れがたい「事実」だった。
 底なし沼のように途方もなく深い哀しみと喪失感と寂しさが二人の少女の胸を占める。
 リィザは、哀しみのあまり、泣くことすらできなかった。人間(ひと)は、本当に哀しいときは涙すら出てこないものなのだと、初めてリィザは知る。
 リィザは、姉を見た。
 姉は、声すら上げずにひっそりと泣いていた。リィザは、これほどまでに哀しく泣く人を見たことがなかった。
(お姉様は、私がいるから、ずっと我慢していらっしゃったのだわ……)
 あの時、姉が頼れる人間は、己のみだったのだ。
 改めて、リィザは認識する。そして、これからも、姉は誰にも頼ることができないのだ。もちろん、姉が自分より下の妹に頼るような人間ではないことは重々承知している。自分にすら、頼らない姉。ましてや、見ず知らずの人間を頼るような姉ではない。姉の気位の高さは、妹である自分が一番よく理解している。
(お姉様は、きっとあの時に、独りで生きていく決意をなさったのだわ)
 なんて孤独な、そして哀しい人なのかしら……。
 今や、姉にとって一番身近な存在は、リィザのみだった。初めてリィザはその事実に気付く。
(これからは、私がお姉様を支えてあげなければいけない)
 リィザは固く決意する。今までのように、一方的に自分が頼るだけではだめなのだ。
 だれしも、人間は独りでは生きてはゆけない。
(これからは、二人で支え合って生きてゆかなければ……)


 姉は、まだ泣いていた。
―――――お姉様は、本当は弱い人なのかもしれない。
 ふっとそんな思いが頭をよぎる。今までは、心の底から姉を強い女性(ひと)だと信じて疑わなかったけれど。
 でも、もしその強さが、見せ掛けだけの強さだったとしたら?
 自分の脆さを見せないがために衣を被せただけの危うい強さだったとしたら?
 人間(ひと)は、誰しも弱い部分を持っている。少なくとも、リィザはそう思う。
(お姉様は、その弱さを、人に見せられない人間(ひと)なのだわ)
 果たして、それを「本当の強さ」と呼べるのだろうか?
 リィザは初めて、今まで完全無欠に思えた姉の脆さを見た気がした。
 そう、だからこそ、
(私がお姉様を支えてあげなければ―――)
 もちろん、そんなことを実際に姉に言おうものなら殺されるであろうことは、姉の性格上明らかなので、まちがえても言うつもりはなかった。
 でも、この一言だけは、言わずにはいられなかった。
「お姉様。つらかったら、こんなに頼りない私だけど、頼ってくれていいんだよ? お願いだから、どうしても一人じゃ抱えきれないくらいにつらいときは、私を頼って。見てるの、つらいよ………」
 姉の魂が慟哭(どうこく)していることを、そばにいるリィザは痛いくらいに感じていた。もはや魂の片割れである自分は、いやが応にも姉の哀しみに共鳴する。
 近すぎるから、わかりすぎる。その、途方もない哀しみを―――。
 だからこそ、言わずにはいられなかった。
「ねえ、お姉様………」
 姉の深すぎる哀しみに心が共鳴して、リィザはいたたまれなくなって、無意識のうちに涙が溢れていた。
 リィザはそっと姉に寄り添い、姉の肩に頭をもたせかけた。そして、冷え切っていた姉の手を、自分の両手でそっと包み込む。
「……………………」
 姉は何も言わなかった。
「お姉様ぁ。私が、ずっとそばにいる。どこにもいかない。だから、泣かないで…………お願い………」
 最後の方は声が掠れていた。


「ありがとう、リィザ………。おまえがいなかったら、私はきっと、独りでは生きてはいられかった。おまえがいたから、こうして私は今、おまえの隣にいる」
 いつの間にか眠ってしまったリィザの寝顔を見つめて、フェオラは柔らかく微笑む。まるでそれは、花がほころぶような微笑み方だった。普段のフェオラからは考えられないような、女性らしい柔らかい微笑。その場に見る者がだれもいないのは、明らかにもったいなかった。
 フェオラは、自分に寄り添って静かに眠る妹を起こさないように、そっと空の果てを見た。空は、端の方から白っぽくなってきていて、もうすぐ夜明けが来ることを物語っていた。
「いつか、私たちの心にも夜明けが来ればいいな」と、フェオラは思う。
(「明けない夜はない」か………)
 よく言ったものだ。きっと、いつの時代も人間は変わらないのだろう。
 泣き、悲しみ、そしていつかはその悲しみが癒されて、朝が来る。
 自分たちの先達は、それを身をもって経験したのだ。だからこそ、このような伝承があるのだろう。
―――――私たちの心にも、いつか夜明けが来れば、いい。
 夢現(ゆめうつつ)の中、心の底からフェオラはそう思いながら、再び眠りに落ちていった。

 

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