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フェオラとリィザは太陽の日差しがさんさんと降り注ぐ炎天下の下、ひたすらどこかの村を求めて歩いていた。 着ているものと言えば、さらさらとした心地いい肌触りの、ごく薄い極上の生地でできた、レースをふんだんにあしらった寝間着だけだった。ひらひらとしたそれは動きにくいことこの上ない。裾は足の下まであって、歩くたびにずるずると引きずらなくてはならない。疲れた身体にとっては、足に鉛をつけて歩いているのと同じような感覚だった。
食べ物も水もない。二人は猛烈な空腹とのどの渇きを感じていた。しかし、どちらも決して弱音は吐かなかった。否、吐けなかった。
「強く生きなければ」という義務感にも似た感情だけが、二人を突き動かしていた。フェオラもリィザも、本能的にただひたすら歩を進める。真昼の熱風が、二人の緋色の髪を吹き上げる。
姉妹の間に、一切の会話はない。ただ、黙々と歩く、歩く、歩く。
そのような状態がどれくらいの時間続いた頃のことだろう。ふと、あたりの気配が変わる。しかし、身体の限界を超えた疲労のせいで、二人はそのことには気付かない。
空気が――――――――、静止する。
それは、一瞬の出来事。
二人はようやく気付く。自分たちが賊に取り囲まれていることに。
迂闊だった。自分たちの感情を制御することだけで精一杯で、とても他のことなどに気を配れなかったのだ。 (どうする………!?)
無論、どうしようもない。
賊たちは常に、獲物を狙うハイエナのように神経を張り詰めて、貴賎を問わず、道行く無防備な旅人たちから金品を盗み取る機会をうかがっているのだ。
おそらくその辺の潅木に身を潜めながらずっとこちらのことを伺っていたのだろうと思うと、女の身ながらかつて騎士団長務めていたほどの実力の持ち主であったフェオラは、当時の自分と今の自分の力の落差に重い衝撃を受けていた。
こんなに簡単な気配すら気付くことのできなかった自らの迂闊さを呪う。 くやしさと屈辱と自分への怒りで、無意識のうちにフェオラは唇をかみ締めていた。
リィザは真っ青な表情(かお)で、がたがたと震えていた。 「お姉様………」
リィザは不安げに姉を見上げる。姉の顔も自分と同じく青ざめていた。 (もう、だめだわ………!) リィザは絶望した。
(そうよ。どうせここで死んでしまえばいいんだわ) 楽になりたい自分の本心。 今の苦しみから解放されたい心の叫び。
(だめよ、私。あきらめては、だめ! だって、お父様とお母様は、そんなことを望んでいらっしゃるはずがないもの)
「生き延びなければならない」いう宿命と「死にたい」と望む自分の気持ちとの狭間で、リィザは揺れ動いていた。
(死んでしまえば……殺してくれれば楽になれるのに………)
それぞれに、それぞれの想いが交錯していた―――――。
賊たちは、一斉に潅木の陰から姿を現して、フェオラとリィザを取り囲む。口には一様に卑しい笑みを浮かべて。
服は浮浪者よろしく、申し訳程度に襤褸切れだけをまとったような格好だった。 人数は12、3人といったところか。
頭領らしき男がねちっとした口調で言う。その声から、弱者をいたぶる悦びが滲んでいた。 「へっへっへっへ。言わなくてもわかってるよな? 大丈夫、殺しゃあしない。だから、大人しく金目のもんはおいてきな!」
「おまえら、どうやらどこぞの貴族の令嬢っていでたちだな。さしあたって、先日イスハルーン帝国に滅ぼされたばかりのエルフィーア王国の貴族、ってとこだろう」
その言葉に、フェオラとリィザの眉がぴくりと動く。
そんな二人の反応を見て、賊たちは「やっぱりな」といった顔をする。おそらく何度も落ちぶれたエルフィーア王国の貴族を襲ったのであろうことは、奴等の反応から明らかだった。
恐怖でリィザの足の筋肉の一部が痙攣して震える。それが足全体に広がり、やがてその震えは身体全体に拡がる。
フェオラはそんな妹を見て、リィザを自分の背中に庇う。 フェオラは無言で賊を睨み付ける。リィザはただ真っ青な顔をして怯えるのみ。
どちら側も、相手の出方を伺っていた。ピクリとも、動かない。 張り詰めた空気。まるで、時間が止まってしまったかのような―――。
どのくらいそんな時間が続いたのだろう。 先に動いたのは賊たちの方だった。
とっさの出来事に、フェオラもリィザも反応が遅れた。 「リィザ!?」
気付いたときには、リィザは賊たちの一人に羽交い絞めにされていた。 (しまった―――――!)
「ごめんなさい。お姉様だけでもっ、逃げて………!」 渾身の叫びだった。
その表情は恐れで青ざめていた。今にも折れそうなほどに細い身体が小刻みに震えているのが、こちらから見ていてもわかった。
―――――――リィザ! フェオラは怒りと悔しさのあまり、唇をかみ締めた。無意識のうちに握り締めていたこぶしがわなわなと震えていた。
たった一人の妹。 たった一人の家族。
命よりも大切な――――――魂の片割れ。
「リィザを放せ! いい男が、たった二人の女性相手に卑怯だぞ!」
本来のフェオラであれば、自らが女であることを盾に取るような言葉は意地でも使わなかっただろう。しかし、今は背に腹は代えられなかった。どんなことがあっても、何としてでも、自分の命よりも大切な妹を守りたかった。 今、自分が護身用の短剣しか持っていないことを、フェオラはひどく悔やむ。
(剣があれば…………!) 一か八か、フェオラは賭けに出る。
「丸腰の女性を大多数の男が寄ってたかって襲うのは卑怯だぞ。せめて、こちらにも武器を渡すというのが筋じゃないのか? それとも、たかだか小娘二人が怖いか?」
不敵にフェオラは笑う。 それは危険な賭けだったが、幸いにもフェオラの願いどおり、頭領はフェオラの挑発に乗った。
「口だけは達者だな。先ほどは震えていたくせに」 そう嘲笑いながらも、頭領は2本の剣を放ってよこした。
「いいだろう、認めよう。お前一人でおれたち全員を倒せたら、そこの娘を放そう」
男は知らなかった。フェオラが、かの有名なエルフィーア王国王室騎士団の女団長であったということを。また、フェオラがひそかに口元にひっそりと勝利を確信したような笑みを湛えていたことを。
剣さえ手に入ればこっちのものだ。フェオラは勝利を確信する。 「さあ、来るがいい」
男は嘲笑う。その表情(かお)にはありありと、「女一人で何ができる? 何もできるわけがないだろう」という嘲りが表れていた。
「おれ自らがかわいがってやる。―――――来い!」 「お言葉に甘えて・・・・・・・・・」
フェオラは静かに笑う。男には、それはただの強がりの笑いにしか見えなかった。
それが、男の命取りであった。 フェオラは剣を構える。いつも自分が使っていた細身の剣とは違い、かなりの重みがあった。
しかし、「大丈夫――――」。
なぜかそんな気がした。それは、今までの戦で培ってきた野生の勘。そしてこの勘はいつも当たる。だから、フェオラには一切の迷いはなかった。
静かにフェオラは剣を構える。その動作には一部の隙もない。 不思議と湧いてくる、かつての自信。
不思議と蘇ってくる、懐かしい感覚。
肌にしみこんでいる、緊張感でぴんと張り詰めた、戦特有のこの雰囲気が、久々に肌に心地いい。
――――――――いける!
瞬間、張り詰めていた空気が一気に弾けた―――――。 |