「よし、いい子だ」
 男の嘲るような口調と視線に、悔しさと屈辱で身体が震える。無意識のうちに、唇をかみ締めていた。怒りで顔が火照る。
「さあ、有り金全部出してもらおうか。たとえば………その指の王家の紋章入りの指輪とか、その首につけている首飾りとか………」
 男はフェオラの指と首元をチラッと一瞥して、その価値を推し量る。
 まちがいなく、今までで最大の獲物だ。
 口元が卑しい笑いを湛えていた。
 「どうやら、あっちの妹の方は何にももってないみてえだな。まあいいけどな。その穢れのない肉体だけでも十分だ。エルフィーア王国の王女。本当ならおれたちのような者が触れることすら許されない、高貴な至高の女神。その柔肌を拝めるっていうんだからな………」
 男は卑しく舌なめずりした。
 その言葉を聞いて、リィザが恐ろしさのあまりに顔面蒼白にして、涙を吹きこぼす。
 そんな妹の姿があまりにも痛ましくて耐え難く、心臓に真剣で貫かれたような鋭い痛みと衝撃が走った気がした。
 否、心の衝撃のあまり、真実胸が鋭い痛みを訴えている。


――――――絶対に、許さない!


 「許せない」のではなく「許さない」。許す気など、毛頭ない。
 とうとうフェオラの怒りは爆発した。今まで抑えていた怒りが、一気に溶岩のごと溢れ出す。

「ふざけるなぁっ!」

 とっさに先ほど棄てた剣を掴み取り、リィザを拘束している男目がけて投げつけた。
「ぐはあっ!」
 剣は男の右目を直撃したのだった。男は思わずリィザから手を放し、右目を抑えた。
 フェオラは、叫ぶ。この好機を逃すわけにはいかなかった。

「逃げろ!」

「お姉様は!?」
 リィザは半泣きになりながら叫ぶ。
「いいから逃げろ! 後で必ず行くから! このままだとお前も私も死んでしまうんだ」
 リィザの身体がびくんと震える。
 そのとおりだ。何のために姉は自分の身の危険も顧みず、こんなことをしたのか?
 今、自分だけでも逃げなければ、姉の行為を無駄にしてしまう。姉の意思(おもい)を無駄にしてしまう。
 躊躇している暇はなかった。そう、姉の言うとおり、このままでは間違いなく二人とも殺されてしまう。ならば、自分だけでも逃げて、助けを呼びに行った方がいいに決まっている。
 そう思い至ると、弾かれたようにリィザは駆け出した。
「お姉様! 必ず、生き延びて………! 私、必ず戻ってくるから!」
 声の限り、リィザは叫ぶ。 
 フェオラは、それに力強くうなずき返した。
(そう、それでいい………)
 もちろん、自分がこのまま生き延びられるなどとは毛頭思っていなかったのだが、他でもないかけがえのないリィザのためにこの命を散らすことができるなら、それこそ本望だ。何の価値もない自分の命で、大切なリィザを生かすことができることに、今、フェオラは至高の喜びを感じていた。
 たとえ自分がここで命を散らすことになろうとも―――たとえそれが下賎な輩の手によってであったとしても、

――――――リィザさえ生き延びてくれるのであれば、それで、いい………。

 フェオラは、覚悟を決めた。
 男は、血走った目でフェオラを睨み付けていた。そして、静かにたった一言。

「殺れ(やれ)――――――――」

 剣を持った賊たちが、一斉に自分に襲い掛かってくる。覚悟を決めて、ゆっくりと目を閉じる。
 
 死に対する怖さはなかった。不思議と穏やかな気持ちだった。
(お父様、お母様……やっと逝けます………)
 あの悪夢以来、どれほど死にたいと願ってやまなかっただろうか。死にたくても自らの手で死ぬことは許されない。自らに課した枷ゆえに。それが、願ってもいない他の者の手によって、この忌々しい生を断ち切ることができるのだ。あんなにも渇望していた死が、手に入る―――――――!
 思い残すことは何もない。どうせ、自分が死んでしまったところで、悲しむ者など、もうこの世にはいないのだから。望まれない生など、断ち切ってしまったところで何ともないのだ。自分が死んだ後も、そんなことは関係なしに世界は廻るのだから。
(やっと………楽に、なれる………!)
 その時ふと、まだあどけなさを残した愛しい妹の顔が胸をよぎった。小さな茨のような痛みが、胸を刺す。

―――――リィザを、独りにしてしまう。

 その事実に思い至ったとき、心の底から「まだ生きたい!」という願いが身体を突き抜けた。リィザを独りにしてしまうという事実のみが、フェオラを生へとつなぎとめる唯一の楔だったのだ。
 あの、幼い妹を独り残して逝かなくてはならない。そう思うだけで、心がはちきれそうな痛みを訴える。

 生きたい、生きたい、生きたい―――――!

 切に願う。しかし、その望みが叶えられることはないということを心の奥底ではわかっている自分がいた。

 
 どうか許して。
 貴女を独りにしてしまう酷い姉を………。

 最期にフェオラは、あの時の微笑みの中に芽生え始めていた妹の強さの芽を信じること、そして先の妹の幸せをただ祈ることしかできなかった―――。
 だから、最期に渾身の想いで祈る。

――――――――どうか、生き延びて……そして、どうか幸せになって―――――!

 
 つーっと……一筋の涙が頬を伝い、流れ落ちた。

 

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