どこからか聞こえてきた野太い男の声と同時に轟音が鳴り響いた瞬間、フェオラは見た。自分の周りが一瞬にして炎の海へと化すのを。フェオラ自身は火山から溶岩が流れ出す光景を実際に見たことはなかったが、きっとこういうものなのだろうと漠然と思っていた。
ただただフェオラは自分の前で繰り広げられる奇跡に唖然とする。「どうして自分の周りだけ炎の熱さも感じないし自分だけ無事なのだろう?」という至極もっともな疑問すらも思いつかない。
それくらいに、突然起こった出来事は、唐突過ぎたのだ。
一瞬の出来事だった。
男たちの悲鳴すら上がらずに、すべては高温の炎とともに燃え尽き、溶けてしまった。灰さえも残っていなかった。
すべてが一瞬にして終わった後に残るものは、ただ静寂のみ。
その静寂で、ようやくフェオラは我に返る。
「一体………何が………」
他人のもののように響く声は、ひどく掠れていた。
一体自分の目の前で何が起きたのか、フェオラは理解できなかった。我には返ったが、ただ唖然とするばかり。
死を、覚悟した。
しかし、死を覚悟した瞬間に響いた男の声と同時に激しい爆音が起こり、目を開けたら辺りは炎の海と化していた。荒れ狂う海のように、どろどろとした高温の炎がすべてを呑み込んでいた。
一体自分がどれほどの間、その奇跡のような光景に見入っていたのかはわからない。気が付けば、静寂しかなかったのだ。そして、草原と。
――――――本当に一体何が?
考えてもわかるはずがない。それゆえに奇跡は「奇跡」なのだから。
ただ一つわかることは、何らかの力によって、自分は守られた。すなわち、自分は生き延びたという事実だけ―――――。
「……………そうか……………私は助かったのだな…………?」
ようやくそれだけはわかった。
その時だった。
「ご無事ですか!? フェオラ様!」
突然聞こえた声は、先ほどの男の声と同じものだった。
フェオラは心底驚いて後ろを振り返る。
「あ……貴方は………!」
そこにいたのは、かつてエルフィーア王国の中で最高の魔力を誇る最高位の宮廷魔道師であり、なおかつ父の親友でもあったバーリス道師だった。
バーリス導師もまた、着の身着のまま、すなはちエルフィーア王国宮廷魔道師の服のままだった。
「ご無事で何よりです、姫」
そう言ってバーリス導師はフェオラの前に跪いた。
「貴方だったのか………わたしを助けてくださったのは………!」
「はい。この辺は賊の巣窟でしてな。エルフィーア王国から命からがら逃げ出した貴族どもを狙っておるんですよ。もしや姫様も逃げては来られまいかと思い、こうしてずっとこの辺りで張っていた次第でございます」
「なぜ……わかった?」
「何やら騒がしいと思いましてな。胸騒ぎがしたのですよ。もしや、と思い駆けつけてみれば……」
「あのような状態だったというわけだな?」
続きの言葉をフェオラが引き受ける。
「はい、そうでございます」
その言葉にすべてを納得して、フェオラは真っ直ぐにバーリス導師の目を見て、言った。
「本当に有り難う。おかげで助かった」
「いいえ、間に合って本当によかった…!」
バーリス導師は目に涙すらも浮かべて言った。そんなバーリス導師を見て、フェオラもまた胸を熱くしていた。
――――――まだ、わたしのことをこんなにも心配してくれる人がいたのだな……。
ふと思い出したようにバーリス導師は言う。
「そういえばリィザ様は?」
今までフェオラの無事の喜びばかりが胸に溢れていて、リィザのことにまで思考が至らなかったのだ。
バーリス導師の言葉で、瞬時にフェオラの顔が曇った。沈痛な面持ちのまま、言葉を絞り出すように言う。
「リィザは―――先ほど逃がしました」
そして、事の顛末を話す。
「なるほど」
すべてを納得した後のバーリス導師の言葉もまた重々しく、その表情(かお)もフェオラと同じく沈痛なものであった。
「もう少しわたしが早く到着していれば………」
悔やんでも悔やみきれない。
バーリス導師の声音にはそんな想いが滲んでいた。
「バーリス導師、きっと、大丈夫だと思います」
無意識に口を付いて出たのはそんな言葉。
「きっと、妹は生きている」
かみ締めるように、自分に言い聞かせるように、静かに言葉を紡ぐ。
「とにかく、セイラス国に向かいましょう」
その言葉に弾かれたようにバーリス導師は顔を上げた。
「そう、大丈夫ですよ。ここの草原には、東にある、このバルーザ大陸を半分に分割するようにして南北に走るテール山脈、そして西にはいわゆる禁断の森であるエルフの森と、あと大きな国は私たちのエルフィーア以外には、山脈の南の麓にある砂漠と草原が交わるオアシスの国セイラス国しかありません。あとは地図にも載っていないような村々や町々くらいです。
リィザは賢い娘です。きっと、気付いてくれるはずです―――」
バーリス導師もだまって頷いた。その表情はひどく穏やかだった。
フェオラは妹を信じていた。
大丈夫、きっとまた会える。