7

 リザが旅に出てから、早数日経っていた。

「ふぅ〜〜〜っ。今日も空が青いわ!」
 蒼穹の空。雲ひとつない、澄み過ぎるくらいに澄んだ明澄な蒼い空だ。
 燦々とした強い陽射しが眩しくて、思わずリザは目を細める。
 草原の翠と空の蒼の対比がくっきりとしていて、何だか心まで澄んでくる。
 風は、ない。時折穏やかな風が頬をくすぐるのみで。
 リザは微笑んだ。

「うん、今日もいい日になりそう!」

 

 ここの数日何事もなく平穏無事にのんびりと旅をしていた彼女を、予想外の事件が襲ったのはすぐ後だった。

「ん? ナニ? どこからか声がする。………………気のせい?」
 ポツリとつぶやいたリザの言葉に、サラが「いいえ、気のせいじゃないわ」と返答する。
「一体何かしら?」

「―――人の声………それも泣き声みたいよ、リザ」
「はぁ?」
「まだ少女の声ね。でも、どうして―――」
 それっきりサラは一人で思考に沈む。一人で放っておかれたリザはたまったものではない。
「ちょっと、勝手に自己完結しないでよねっ。あたしは何にもわかんないじゃないのよ。サラ、一体何なのよ!」

「………………………………………」

 サラから反応はない。
 宙にぷかぷかと浮かびながら、ずっと思案顔のままである。
「ねえ、ちょっとっ!」
 リザはサラの薄くて透明な羽をぴっと摘まむ。
「ひゃあっ!」
 くすぐったそうな声を上げたサラに、得意顔になってリザは言う。
「ようやく気付いた? ちょっとっ、さっきから一体何なのよ」
「ちょっとっ、くすぐったいじゃないのよ!」
 リザの質問をさっくりと無視して、サラは断固としてリザに抗議する。しかし、もちろんリザも負けてはいない。
「いいから答えなさい! 一体何がどうしたっていうのよ」
 きっとにらみつける。
「あ、そうそう。そのことなんだけれどね………」
 と、もちろんこれはサラがリザの眼力に負けたわけではなく、重大な本題を思い出したからだった。
「えっ……あ、ああ…うん………」
 そして当然、リザはいきなり真剣になったサラについていけない。これもいつものことである。
「こっちに向かって女の子が泣きながら走ってきてるみたい」
「どうして泣きながらなの?」
「それはわからないわ。でも、もうすぐ、来る。何だか助けてあげたほうがよさそうよ。ただごとじゃないみたいだもの」
 リザは思案するようなふりをして、しばらく考え込む。
「うーん、わかった。じゃあとりあえずこのまままっすぐ歩いてればいいのね? そしたら、会えるのね?」
「うん、そうね」
(一体何なの?)
 疑問に思いながらも、とりあえずリザは歩き続けた。


 そして、その例の少女はすぐに現れた。
 まるで生まれたばかりの赤子のように泣き喚きながらこちらに走ってくる。
 その少女が近づいてくるにつれて、リザは眉を顰めた。というのも、その少女はまるで浮浪者のような身なりをしていたからである。
 短い緋色の髪はざんばらのぼさぼさで、そのうちの何本かは汗で顔に張り付いている。着ている服も所々破れていたり、土埃や草や汗で汚れていたりして、もとはレースをふんだんに使った上品な白い寝間着であったろうものが見る影もなくぼろぼろであった。よく見ると、身体中傷だらけで、白い肌は土埃や汗でまみれて汚れていた。
(一体どうして………?)

 そうこう思っているうちに、リザの目にもその少女がはっきりとわかるくらいの範囲まで来ていた。しかし彼女に気付いている様子は微塵もない。おそらく泣くことと走ることだけで精一杯なのであろう。
 こんな状態の少女に何を言っても無駄だとリザは判断し、即座に実力行使に出る。
 宙に浮かぶサラに、ちらりと目配せする。
 サラはリザの意図を汲んで、何事か―――――おそらく精霊の言葉であろう―――――呟いた。
 すると、突如として風がリザの近くに集まり渦を巻く。
「行ってあの少女をここまで連れて来て」
 リザは素早く風に命じた。
 その命に従って風は、リザのそばを走り抜けていった少女を捕まえ、そのままふわりと空中に浮かぶ。
「なっ……何っ……いやあっ、降ろしてよぉっ…私はお姉様を助けなきゃいけないのっ……!」
 少女はうるさく喚く。
(うるさいなぁ!)
 風は暴れる少女を難なくリザの元まで連れてきて、そのまま空中に浮かんだまま静止した。
「ご苦労様。そのままそいつを下に落として」
 その命令に忠実に、風は少女を「落とした」。
「どすん!」と派手な音がして、地面が震動する。
「きゃあっ!」という甲高い悲鳴の後に、「きゃあ!」という痛そうな悲鳴が耳を劈く。
 少女は自分に起こった出来事が理解できずに、きょろきょろと辺りを見回し、やがてその視線がリザの姿を捉えたとたんに、少女はきぃきぃと喚き出す。
「あ、あなたがやったの!? ねえ!? 私は―――!」
 それに対してリザは冷淡な目で少女を見下ろし、しかし口元には笑みを浮かべてこうのたまった。
「もう一回、同じことしてあげようか?」
 とたんに少女の顔は青ざめた。
 きっとリザを睨みつける。ぎりりと歯をかみ締めると、渋々ながらも少女は黙る。
 負けず嫌いな性格がよく表れているな、とリザはおもしろく思った。そしてついついからかってやる。
「何? そのみすぼらしい身なり」
 今が重大事だということも瞬間に忘れて、負けず嫌いな彼女はついついその挑発に乗ってしまう。
「なんですってえっ!? 勝手に私にあんなことをしたくせに。あなたなんかに言われる筋合いない!」
「ふぅん? せっかく助けてあげようと思ったのに。助けが要るんじゃないの? あなた」
 その言葉で、瞬間に少女は硬直した。どうやら、本題を思い出したようである。
 そしてまたもや悔しそうに唇をかみ締める。「こんなやつに助力を頼むはめになるなんて!」とその顔にかいてあったが、しかし少女がそんな表情していたのは一瞬のことだった。
 とたんに顔がくしゃりと歪む。


「助けてくれるの? ………ねえ、お願い……私を……お姉様を助けて………!」


 必死な瞳(め)だった。
 ことは一刻を争うのだとリザは瞬時に理解する。
 先ほどののりとは打って変わり、いきなりの深刻そうな事態の展開についていけないながらも、その少女をなだめにかかる。
「一体どうしたの。何があったの?」
 そう問うリザの瞳の穏やかさに、感極まってその少女は泣きそうになりながらも、一生懸命にリザに姉の生命の危機を伝えようとする。
「お姉様が………賊に襲われて……本当は強いお姉様なのに私を逃がすために………っ……!」
 それ以上は言葉にならなかった。少女の瞳から涙が幾筋も滑り落ちる。
 たったそれだけの言葉だったが、リザは即座に事を理解した。
「あなた、どこから来たの? あたしが助けてあげるわ。その「お姉様」とやらのところまであたしを案内して」
 リザの申し出に少女の瞳が歓喜で輝いた。しかしそれは一瞬のことだった。
「相手は大勢の賊なの。行ったら、貴女まで殺されてしまう―――!」
 その言葉はリザを本気にさせるのには十分だった。
「ちょっと、バカにしないでちょうだい。あたしは、風使いよ。そんな下賎な輩に負けるわけがないわ」
 そして今度こそ、少女の瞳が歓喜で輝いた。
「大丈夫、あたしを信じなさい。絶対にその「お姉様」を助けてあげるわ」
 そう言ってふんわりと微笑んだ。

「あ………ありが……とう……!」

 そして少女が喜びに泣きむせいだのは言うまでもない。

 

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