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馬に揺られながら旅を続けていると……はじめは蜃気楼かと思った。早くセイルス国に着きたいばかりに見える蜃気楼かと。しかし、遠くに見えるそれは、間違いなく有名なセイルス国の石壁らしきものだった。セイルス国を守る塀は、住民たちが自分たちの家と同じように石を一つ一つ積み重ねて作った国を囲う壁として名高い。 はやる気持ちを抑えつつ、シリウスはしっかりと手綱を制御する。気持ちをしっかりと持って手綱を制御しないと、心のままに馬で突っ走りそうになってしまうから。
(落ち着け、落ち着こう……)
ゆっくりと息を吸って、吐く。
(いよいよ、だ……) 静かに感動が湧き上がる。この高揚感が何とも心地いい。国を出て以来初めて感じるわくわく感。改めて「自分は旅をしているのだ」と実感する。 (やっぱり、旅に出てよかったな) 今は心からそう思えた。
石壁にそってぐるりと迂回すると、国の入り口らしきところに辿り着いた。 というのも、門の両脇に商人風情の男が立ち、その前に行列ができていたからだった。 並んでいるのは男がほとんどだった。やはり生命の危険がともなう旅は、女子供はすべきではない、というのは万国共通の常識らしい。 並んでいる人々の服装を観察すると、シリウスが見たことのないものがほとんどでおもしろいと思うと同時に、改めてシリウスは今まで自分がいた世界の狭さを痛感する。 (やはり、ぼくはもっと世界を知る必要があるな……) シリウスは馬から下りてその列の最後尾に並ぶ。 商人は、旅人から、通貨制の国からはその国のお金を、通貨制を採用していない国からはそれ相応の金銀宝石、またはその国特産の衣料や食料などを通行料としてとっているようだった。 シリウスはこの光景を見て、世界史の授業でこの国が交通料をとることによって発展してきた国だということを思い出した。 別にこの国を通らなくともいいのだが、やはり旅の要所にあるこの国は、旅人たちの交通の拠点として砂漠のオアシスと同じくらいに重要なものだった。数百年前にエルフィーア王国とイスハルーン帝国が和平を結んで両国の交流が活発化して以来、お互いの国を行き来する人が増えた。しかし、両国の間には大陸最高峰のテール山脈が走り、どちらかの国に行くには山脈の西一帯に広がる不毛なカルハリ砂漠か、東一帯に広がる広大なバーレル草原を通って山脈を迂回してひたすら遠回りしなければいけないことから、旅は決して安全なものとはいえなかった。いつしか、商人たちは旅の拠点に安全に休める場所と食料・水・衣料が得られる場所を欲した。そこで、商人たちは結集し、小さな町を起こした。そして彼らは通行人から通行料を取ることを思いついた。 それがこの国の発端であるが、両国が繁栄するにつれてますます交流やお互いの国の行き来は活発化し、この町の需要も増え、いつしか町は街になり、街は国へと発展した。 この国では今も昔も旅人は、長旅の間で疲れた身体を久々に宿屋で休め、久々に酒屋で飲み食いし、旅の道中に消費して足りなくなった食糧や衣服を買い求める。 また、商人はこの国のバザールでもってきたものを売る。珍しいものを求める旅人がそれを買う。いろんな国から来た商人や旅人が集うこのバザールは、どんな需要も供給もどちらか一方が偏ることなくどちらも満たされる。そして、ますますバザールは大きくなる。この国のバザールが大陸一大きいのも頷ける話だ。いつからかこのバザールは「大陸の華」と呼ばれるようになった。 そうこうこの国の成り立ちを頭の中で反芻しているうちに、シリウスの番が回ってきた。 「おまえはどこの国の者だ?」 中年くらいの方の商人が問う。 「ぼくはイスハルーン帝国から来た」 「それじゃあ、10リラだな」 イスハルーン帝国はちなみに通貨制を採用しており、10リラは大体平民1人の1か月分の食料費にあたる。 シリウスは黙って袋から言われた額だけ取り出して商人に渡す。 商人は注意深くそれを確かめ、もう一人の商人(こちらの方がやや若い)に一つ頷く。それを受けて、その商人はまん丸の石を取り出してシリウスに渡す。 シリウスは興味深げにそれを見る。その石には、今日の日付が刻印してあった。なるほど、これが通行証がわりになるらしい。 ものめずらしげにその石を眺めるシリウスを見てか、中年の商人は言った。 「なくすなよ、それが通行証だからな。国を出入りするときは、裏門を使え。そこにも商人がいるから、そいつに出入りの際はその石を見せればいい」 「あの……滞在期間とかは決まっているのですか?」 「いいや、いったん通行料さえ払ってくれればそれでいい」 「なるほど………」 納得したようにしんみりと頷いているシリウスを見て、もう一人の商人が鬱陶しそうに言う。 「わかったらさっさとどけ。後ろがたまってるんだ」 言われてシリウスは気付き、慌てて国に入った。 「すっ、すみません。いろいろご丁寧に有り難うございました!」 商人二人の方を見て、ぺこりと頭を下げる。 すると二人はそんなシリウスを見て顔を見合わせ、一気に吹き出して豪快に笑う。 「おまえ、おもしろいやつだな! また、きっと話そう。今夜、この国で一番大きな宿屋へ来い。俺が奢ってやる」 「いえ、そんな……悪いですから!」 慌てて首を横に振るシリウスを無視し、なおも商人は続ける。 「いいんだいいんだ。来いっつったら必ず来るんだぞ!」 そう言い捨ててまたもとの仕事に戻ってしまった。
しばらくシリウスは唖然としていた。このあっけらかんとした人柄は、この国の人たちの気風なのだろうかなどというとりとめもないことをつらつらと考えながら。
「行かなくちゃ……行けないんだよなぁ………」
断りたくても断れなかった以上、何だか行かなくてはならないような気がする。 「うーん」と頭を抱え込みつつ、シリウスは色鮮やかなセイルス国の街の中へと消えていった。 |