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 そして夕刻―――――、シリウスはなぜかまだサリサのところにいた。正確には、サリサの家の二階に。
 何でも聞くところによると、サリサの家は宿屋兼酒屋らしい。サリサの部屋に行くまでに、シリウスはその酒屋を通過したのでサリサが酒屋を営んでいることには納得したが、まさか宿屋も経営しているとは。これで泊まるところを探す手間が省けた、と喜ぶのが普通の人間であるが、そこはシリウスだ。「いいから無料(タダ)で泊まっていきな」と気前よく申し出てくれたサリサの好意に甘えることが出来ず、気が付けば酒屋の手伝いを申し出ていた。
 そして、今に至る。
 シリウスは悩んでいた。たった今思い出したが、セイルス国に入国するときに門番の男たちと約束をしていたのだ。
 どうしたものかと悩むが、どうしようもない。
 約束を破ることは、シリウスの矜持に反するが、しかしどちらを優先させるかといわれれば(無理やりにとはいえ)もらった好意に対して報いる方をとる。
「あーあ……」
 どうせもう会うことはないのだから、約束なんて破ったところで大したことない、という考えは思いも浮かばないのがシリウスという人間であった。


―――――ということで、旅立って40日目という今日の夜、なぜかシリウスは生まれて初めて給仕として夜の賑やかな酒場に立っていた。それも、サリサにもらった大量の服のうちの一枚の中でももっともきらびやかな派手な一枚、それも好色くらいしか来ないようなものを着て。
 息子は商人になったということからも大体の想像はつくが、文字通り派手好きだったらしい。当然シリウスは嫌がった。しかし、サリサが譲らなかったのだ。シリウスの反応を見越して、「せっかく息子の服をあげたのに……」と涙ながらに(もちろん演技である)訴えると、当然シリウスが異議を申し立てることなどできるはずもなく。最後にサリサは笑いながら言い放ったものだ。―――――「だってあんた、だまってさえいれば美男子なんだもん」、と。もちろんここまできても、シリウスはうまくサリサの策に乗せられたことになど気付くはずもないが。


「―――――はぁ」
 そしてシリウスは、お盆をもってスタンバイしながらも、今日何度目かになるため息をつく。

「よっ、ぼっちゃん! せっかくのいい男が台無しだよ!」

 と、これまたよりによってお決まりの野次が客席から飛んでくる。もちろん、シリウスは気づかない。
 そんなところに、どんな物好きか、直接シリウスに近づく男がいた。
「おい」
 その男はシリウスの肩に手を置いて声をかける。
「何ボーっとしてるんだよ。昼間門で会っただろうが。それとももう忘れたか?」
 その声には楽しそうな響きが滲んでいる。
 シリウスはちょうど、もう一つの果たせなかった約束のことを思って、思い耽っていたところだったので当然のことながら吃驚した。
 はっと顔を上げると、そこには例の男がいたのだから。
「どっ……どうしてここに―――――」
 言いかけてシリウスは言葉を呑み込む。そんなことよりも先に、相手に言うべき言葉を思い出したからだ。
「あの………本当にすみませんでした!」
 思いっきり勢いよく頭を下げる。
 そんなシリウスの様子に男は面食らう。
「なっ……いったいどうしたんだよ」
「その……だって、昼間の約束を守れなかったから……」
 シリウスは決死の覚悟で言ったのだが、男はしかし要領を得ない顔をしている。そして、言った。
「何言ってんだ? ちゃんと守ってるじゃねーかよ。ここ、「夢見る肴」亭―――――セイルス国でいっちゃん大きな酒屋兼宿屋じゃねーか」
「そっ……そうなんですか!?」
 さも当然といった風の男の言葉に、今度はシリウスが面食らう。
「ああ、そうさ。―――――まさかてめぇがこんなに気の利いたお出迎えをしてくれるたぁさすがに思わなかったがな」
 そう言って男はがははと豪快に笑う。

「まぁいいや。飲め飲め。飲もうぜ!」
 男は強引にシリウスに席を勧め、酒を飲まそうとする。
「ちょっ………待ってください! ぼくは今、勤務時間中なんですよ!?」
 男は一瞬意外そうな顔をして目を丸くしたものの、それは少しの間だけだった。そして何を思ったか、大声で「おーい!」と厨房にいるサリサに声をかける。
「今夜コイツ借りるぜー!」
「ちょっとまっ―――――」とシリウスが言い終わる暇もなく、サリサは「なんだ、あんたたち知り合いだったのかい。ああいいよ。その子のことは好きにおしー!」と笑った。
「さ、これで決まりだ」
 男はにいっと笑い、シリウスを力ずくで席に座らせて、シリウスが遠慮する暇もなく、大ジョッキいっぱいの果実酒を思いっきりシリウスに押し付けた。
「まあ、飲め。今夜はおれの奢りだから好きなだけ飲め!」
 シリウスは降参しつつも、心の中だけで泣きながら思った。「なんでぼくがこんな目に」と。そして、

 「今夜は長い夜になりそうだ」、と―――――。

 

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