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どんちゃん騒ぎと文字通りシリウスのテーブルだけ、どの席も満席で賑やかな酒屋の中でも一際賑やかだった。 シリウスは門番の人は確か二人だったよな、と今さらながらに気づき「もう一人のお若い方はいらっしゃらないんですか?」と聞くと、男は「あぁ、トートな。あいつは後から来るよ」と言い、その後「おれはラードだ」と自らを名乗った。 「で、おまえは?」 と、続いて当然のようにシリウスの名を問う。この流れで次に自分の名前を問われるのは至極当然の流れであるにもかかわらず、シリウスは返事に窮してしまう。 「おいおいー、ぼーっとしてるなよぼっちゃん」 そんなシリウスの様子をやはりラードは豪快に笑い飛ばす。そして続ける。 「まさかどっかの国の王子でお忍びで旅してるってなわけでもあるまいに」 思いがけず図星を指されてシリウスは真っ青になるが、幸いにも店内の明かりが暖色系のランプでその表情までは暗くて見えないことにほっとしつつ、それでも名乗る声はどうしても上ずったものになってしまう。 「シ、シーリュ…」 偽名とはいえど、まったくの偽名でもない。シリウスの正式名はシーリウス、そして小さいころの愛称はそこからシーリュと呼ばれていた。由来は、まだ小さかったシリウスが自分の正しい名前を発音できず、舌ったらずな口調でどうしても「シーリュ」としか発音できなかったことからである。 「シーリュ……へぇ。やたら綺麗な名前だなぁ。まるで女みたいだ」 嘘がばれていないかと冷や冷やしながらシリウスはそっとラードの方を盗み見るも、どうやら嘘がばれた風ではないのでほっと胸をなでおろす。 しかし、安堵する暇もなくラードは次々と質問を繰り出す。 「どっから来た?」 「イ…イスハルーン……」 「おぉ、そういや言ってたよな。イスハルーンといえば―――――、なんか第一王子のシリウス様がいなくなったってもっぱらの噂で国内が混乱しているらしいな」 心臓がどくりと大きな音を立てて、身体全身から冷や汗がどっと吹き出す。 「そっ……そうなんですか!?」 取り繕ったようにワンテンポ遅れて驚いた風を装うが、身体中に心臓の音がどくどくと響き、実は足はがくがくとして、身体全体は小刻みに震えていた。声の震えに気づかれていたらどうしよう、とシリウスは気が気でない。 「何でも、見つけて連れ戻した者には金銀財宝をとらせるとか。軽く一生は遊んで暮らせるだけの金額らしい」 その一言がシリウスに与えた衝撃は計り知れず。朦朧として回らない頭で、これで意識を失って倒れない自分はえらいと思った。身体中の震えがますますひどくなっている。身体中にじっとりと絡みつく冷や汗のせいか、それとも話の内容が内容のせいか、寒気が止まらずに悪寒がする。 さすがにシリウスの様子を変だと思ったのか、ラードは、 「おっ……おい、大丈夫か!? アルコールのせいか!?」 とこちらが言い訳をせずとも都合のよいように勘違いしてくれる。 「そっ………そうなんです。ちょっとアルコールの類は受けつけなくって」 シリウスはラードに合わせて必死で嘘をついた。「やっぱり、嘘はなれないな」とこういうときですら心のうちで苦々しく思いながら。 「そういうことは最初っから言えよな! ………ったくバカヤロウ」 ラードは大声でサリサを呼んで、目が合うと怒鳴りつけるように叫んだ。 「サリサー! こいつ、気分悪いって。悪いけれど部屋に連れていってやって」 遠目ながらもシリウスの状態がただ事ではないとわかったのだろう、厨房もそこそこにすっ飛んでくる。 「ちょーっとちょっと。大丈夫かい!?」 そしてすぐさまその背にシリウスを負ぶい、階上のシリウスの部屋まで連れて行った。
サリサはシリウスを負ぶいながら部屋のランプをつけて、すぐにシリウスをベッドに寝かせる。 「もうあんた子供じゃないんだから。ちゃんと自分の管理くらい自分でしなきゃだめだよ」 やっぱりその表情から、サリサが心の底からシリウスを心配してくれていることがわかって、その心の温かさに不覚にも泣きそうになる。 「アルコールのせいかい? 泣き上戸だねえ、ほんとに……」 そうやって気軽に冗談で笑い飛ばして、シリウスの涙に気づかない振りをしてくれるサリサはやっぱり人間の温もりが滲み出ていて。 祖国が自分のせいで大変なことになっているという重すぎる事実から来る、呑まれてしまいそうな恐怖や不安、そして孤独から救い上げてくれる。 ほっとするような温かさ―――――それは、真っ暗闇を照らす橙色のランプの灯りとか、夜帰ってきたときに点っている家の灯火にも似た、帰る場所を思わせる温かさ。母とはこういうものなのだろうなと、ぼんやりとする頭で思う。 そしてそれは、幼少期母との触れ合いの記憶がほとんどないシリウスが憧れてやまなかったもの―――――。 その、もうとうの昔に諦めてしまった―――それでも憧れ、焦がれ続けた温もりが出逢って間もない女性から与えられているのだと思うと、本当に不思議でならなかった。 サリサはシリウスにとってはまったくの他人である。けれども、与えられるその温かさは本物で。 事態は深刻で、それは自分のせいで、その事態の深刻さがあまりにも大きすぎて、不安で、怖くて、孤独なのに―――――なのに、この温かい、満たされた心。 幸せすぎて、そしてその刹那の幸せがあまりにも儚ないもので、そしてとても愛しくて―――――閉じた目尻から、一筋の涙が零れ落ちた―――――。 目を閉じる瞬間、優しくサリサが微笑んだように見えた。 そして、「今夜はずっとここにいてあげるから、安心して寝な」という子守唄を唄うような穏やかな声で発せられたその言葉の、まるで母の胎内にいるかのような心地よさに安心して、シリウスはそのまますっと意識を手放した。
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