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顔面蒼白にしてそのまま固まってしまったシリウスを見るに見かねて、しばらくするとフェイの方から口を開く。 「おいおい〜、頼むよ〜。ウソでも何でもいいから否定しろよなー!」 そのまま左手を額に当ててがくりとへたりこんだ。 「正真正銘のおぼっちゃんかよ〜おいおいおい〜〜〜〜」 盛大なため息。そして、続ける言葉はシリウスのなけなしの理性を奪うほどに酷なものだった。 「あんたさあ、成長するために国を出てきたつってたよな。なんでいきなり成長したいなんて思うんだよ? 恵まれてるだろうが。周りにはあんたにかしずいてくれる大勢の家臣もいるしほしいものは何でも手に入る。食事はおれらとは比べ物にならないほど豪華だろうが。毎日おいしいもんくってんだろーが。国民の血税で。 昨日あんたが母さんに連れられてここ入ってきたときすぐにあんたが着てるもんがどれくらいの価値のあるものかわかったよ。あの服一着でかるーく庶民1年分の生活費になるぞ。 あんたら王族の役割は大人しく玉座に飾り物として座ってるこったろーが。なんか大臣の独裁だなんだってウワサが聞こえてくるけどさ、国が平和ならそれでいいんじゃねえの? なあ? その代わりにそんだけ恵まれた生活享受してんだからよ。どんだけわがまますりゃあ気が済むんだよ? あんたの今までの生活にどんだけの国民がどんだけの血税払ってると思ってんだ? 厳しい生活のうえに厳しい血税搾り取られてそれでも生活してるんだよ。あんたらにちゃんと国治めてほしいからって。 でもさ、実際はどうだ? 国民の悲願のこもった血税、あんたらは贅を凝らすために使ってんだろーが。そりゃあもちろん王族だから当然のことだけどな。 よーするに、だ。身の程をわきまえろ、つってんだよ。分不相応。 あんたが望もうと望まざるに関わらずそんだけの犠牲があって、今のあんたはあんたたりえるんだろーが。 だから、ちゃんと責任果たせよな」 フェイは淡々と言葉を発する。別に彼は、税を搾り取られる立場の一国民としてその理不尽さに憤慨して、その恨みをセイルス国の統治者にぶつけるかわりに、同じ統治者、王族としての立場にあるシリウスに逆恨みでぶつけているわけではなかった。 言われた言葉のすべてはすべて真理で、覆い隠されることのない真剣の鋭さをはらんだ真実だった。 私怨よりも罵りの言葉よりも何よりも、自分があえて見ないようにしてきた真実は、もっとも鋭い真剣の切っ先となりうる。そして今のフェイの言葉は、まさにシリウスにとってはそれだった。 突きつけられる言葉の真実は、真剣の切っ先の鋭さをもってシリウスの咽喉に突きつけられる。 わかってる。わかって、いる―――――。それが唯一絶対の正論で、真実で、今のシリウスがとるべき行動は求められた責任を果たすべく自分勝手な行動を是正して自国に戻ることだなんていうことは、言われなくてもわかっている。言われたら、返す言葉もない。 ……………それでも―――――……………胸に残る煮え切らない想い。やるせなさ、悔しさ、理解されない悔しさとか哀しさとか。そんなものがすべて入り混じって、どろどろとした想いが、煮えたぎっている。怒りにも似た、やるせなさと切なさ。そして、哀しさ―――――。
「わかったなら、とっととうちに帰るんだな」
極めつけはその一言だった。その言葉で、今の今までがんばって保っていたシリウスの冷静さと理性は吹き飛んだ。
「じゃあ、じゃあ―――――」
知らないうちに搾り出すように漏れていた掠れ声に、言うだけ言って問答はこれでもうおしまいだとでも言うかのようにさっさと持ち位置の厨房に戻りかけていたフェイは、「ん?」と怪訝そうにシリウスの方を振り返る。
「じゃあ―――――政治の邪魔だといって、ぼくは殺されてもいいの? それが役割なら、それで平和に国が治まるなら、大人しく殺されればいいの? ………生きたい、と、王族としての役割を全うしたい、ちゃんと公平に平和に国を治めたいと思っちゃいけないの? 国を治めたいから成長したいと思った。 ―――――ねえ、ぼくに自由意志は認められない? 王族の、自由に生きる権利は認められない? ……………責任なら、命すら投げ出さなきゃいけない?」 一番柔らかくて傷つけられやすい、無防備の剥き出しの、シリウスが心の奥に秘していた想い。ずっとずっと、問いたかった。誰かに。
「……………」
フェイは振り向いてじっとシリウスの方を見つめていた。シリウスが内心の思いを吐き出したのちも、その榛に変化は見られない。無機質な硝子を思わせるような、何の感情の漣も映さない穏やかな榛。そしてそのまま、決定的な言葉の矢は放たれた。
「ああ。おれは少なくとも、そう思うよ。今まで、何千何万の………それこそ、数え切れない数の民が「王族の命を守るため」という名目で命を落としてきたんだ。それは戦争であったり、飢饉の中での厳しい搾取であったり。……だったら、その逆もまた然り、じゃねえ? 王族ってものは、民の命を守るために存在しているんだから」
その矢が、シリウスの剥き出しの心臓にぐさりと突き刺さる。どくどくと鮮血を流しながらも、掠れ声で続ける。たしかに、それが正論だ。でも、どうしても納得がいかなかった。
「わかってる。でも………―――――「暗殺される」という形で、殺されることがわかっていながらも命を落とすことは、それでも民のためなら甘んじるべき?」
「ああ。すでにこんだけあんたを探すために国民の血税が使われていることもあんたのせいだろ。―――――報奨金は、どっから出ると思う? 国がそれで―――――たとえ宰相の独裁ででも「平和に」治まるのなら、それでいいんじゃねえ? その宰相が我欲に走って民を苦しめるようであれば、それはそのとき、国民なり周りのほかの家臣が立ち上がればいいさ。殺されるのが嫌なら、隣のアハーラ大陸のラーバム帝国になりどこになり亡命すりゃいいじゃねえか。わざわざ国出てこなくても。 いくら国を変えたいと思っても、王子たる身分にあるものが出奔することは、たとえその理由がどんなに立派なものであっても、それは単なるわがままだ。現にあんたのためにかけられてる金額を見りゃあ一目瞭然だろ。報奨金の金額一万カピラは、国民一人分の一年間の生活費なんてもんじゃない。あんだけありゃあ遊んで一生暮らせる。そんだけの額が、現にあんたのためにかけられてる。望むと望まざるとに関わらずな。そして、そんだけのお金がどっから出るかなんて―――――もう言わなくてもわかるだろ。 ―――――自由意志なんて、んなもん認められるわけねぇだろ」
これ以上はもう無理だと思った。自分の存在意義は、全否定された。自由意志すら認められないのなら、存在している意味なんてない。………そう、行動する自由のない、意思のない人形として以外は。 どんなに耐え難いことでも、それが真理だということは、わかっていた。でも、それでも………こうしてここに感情とか、心とか、自由意志をもって、自分はここに在って、「生きている」から。だから―――、
「それでも、ぼくは帰らないよ」
「……あっ、そう」
あっけない最後。そのまま、フェイは去っていった。
シリウスは、そのままドアをばたんと開け放って外に飛び出して、ひたすら走った。だれもいないところに行き着くまで。 そして、ぽっかりと空けた小さなオアシスに出ると、そこはおあつらえ向きにだれもいなかった。 抜けるように鮮やかな蒼。鮮烈な朝の陽射し。目の前の水地を取り囲むようにまばらに棕櫚の木が生えている。木だって、ここの水を吸って、ただ、生きているのだ……。 ふと悟って、今まで必死で堪えてきたものが、一気にあふれ出した。 声を漏らさないように口元を手のひらで必死で押さえても、嗚咽は漏れる。
「………っ、ううっ―――――」
どんなに抑えてもその嗚咽はやがてしゃくりあげるような声に変わり、動悸し始めて胸が上下を始めて、堪えていた涙が零れた。 堪えても堪えても、泣き止もうとしてももう制御不可能で。 シリウスはだれもいないオアシスの中、木のそばによって、自らの存在を日の当るすべてから隠すようにして声を押し殺して身を丸めて咽び泣いた。 消えてなくなることが叶わないのなら、せめてこの世界のすべてから、「シリウス・ルーディア・フォルス・イスハルーン」という存在を隠してしまいたい。 泣くことすらも、許されない気がした。 そんな権利すらない気がした。 声を出すことも、呼吸をすることも、この木に触れることも、許されない気がした。 この世界に存在していること自体が、意思を持っていること自体が、許されない気がした。 泣いてしまう自分、感情をもっている自分が、許されない気がした。 感情をもってしまうこと、思ってしまうこと、全部が許されない気がした―――――。
お願いします。どうか神様、ぼくが生きている意味をおしえてください。
お願いします。どうか神様、ぼくをこの世界から、この存在そのものを痕跡すら残さずに抹消してください。
人間にとって「思う」ことは、呼吸をすることと同じくらい自然なことで。 「つらい」とか「しんどい」とか、感情をもつことも同じくらい自然なことで。 それゆえに。 自由に「思う」ことすら許されないのであれば、ここに生きているのはあまりにも苦しくてつらくてしんどすぎるから。
だから、
――――― 「この世界から自分なんて消えてなくなってしまえば、いっそのこと楽になれるのに」、と。
本気で思った。
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