13

 しかし意外にも、彼女の表情は明るかった。エフィーリアによく似た顔に慈愛を湛えてやんわりと微笑んでいる。その微笑みは、まるで春の陽射しのように暖かで、思わず泣いてしまいそうになった。
 その表情はシリウスのことを責めてはいなかった。むしろ、気遣ってすらいるように感じられる。
「どう……して……?」
 そう尋ねた声は涙で上擦っていた。しかし、シリウスはそれを隠そうとはしなかった。大地母神のように暖かなこの女性(ひと)の前ではそんなことする必要など一切感じなかったから。何もかも、包み込んでしまうような柔らかな眼差しの前では、そんな些細なことに拘るのは馬鹿馬鹿しかったから……。
「どうして、ですか? ぼくは……貴女の娘さんを……」
 それ以上言うなと、エフィルメの瞳は言っていた。
「エフィは……貴方を助けたことを後悔していない。そして、貴方があそこに倒れていたのも、貴方のせいではない。だから、貴方は悪くない。何も、誰も、悪くないのよ」
 それは不思議な感覚だった。
 身体が透明になっていくような感覚。
 心がふっと楽になる。
「ありがとうございます」
 シリウスは微笑んだ。
 彼女が決して気休めのつもりで言っているのではないとわかったから。
 だからこそ、ああ、大丈夫なんだと思えた。それでも一抹の罪悪感は相変わらず心の中に残っているが。それでも、幾分も心が楽になったのは真実だ。
「それにね………」
 エフィルメは何かを言いかけた。
 シリウスははっとして彼女の顔を見つめる。しかし、彼女の瞳は自分を映してはおらず、その視線はずっと遠くの方に向けられていた。
 シリウスは黙って耳を傾ける。
「きっと、運命だったの。……世界樹の聖霊様がね、エフィを追放にしろ、とおっしゃったらしいわ」
「世界樹……!?」
 シリウスは黙って聞いているつもりだったが、驚きのあまり思わず声をあげてしまった。ついでに、ついつい聞かずにはいられなかった。
「世界樹って……あの、世界樹ですか!? この世界の四大陸にそれぞれ一本ずつある、この世界の根源の………」
「そうよ、あの世界樹。この世界のすべての元素の源のわたしたちエルフは太古の昔より「守人」と呼ばれ、この樹を守ることが使命なのよ」
「聞いたことあります、その話。そして、「守人」は時代が経つにつれ「森人」と呼ばれるようになった、と。貴女方のことだったのですね……」
 世界樹なんて伝説でしか聞いたことのない話だった。世界樹はこの世界の四大陸それぞれに、一本ずつ存在し、世界の四大元素である地・水・火・風を司り、それぞれの元素を動かしていると言う。たとえば、風が風たるのも、水が水たるのも、そしてシリウスがシリウスたるのもその世界樹の力である。そしてその世界樹を守る「守人」も伝承のみに伝え聞く話。その世界樹が実在することに、さらにはその森人も実在することに、シリウスはただただ驚くのみだった。
 驚きのあまり、頭が真っ白だ。意識が遠のきそうになる。
 俄かには信じがたかった。
 しかし、気がかりなことが一つあった。
「いいんですか? 人間であるぼくにそんなことを話して」
 おそらく世界樹と守人が伝説上のみの存在になったのは、人間に触れることがないように意識的に隠されてきたからなのだ。
「いいのよ。話さないと、貴方は一生エフィのことで罪悪感に囚われたまま生きそうだったから」
 エフィルメは笑った。
 図星だった。
 シリウスは、その観察眼に舌を巻く。
「それに、貴方からは闇の匂いは感じないから大丈夫」
(そんなこともわかるんだな……)
 シリウスは様々なことに驚くばかりだった。
「エフィがこの森を追放されたのは運命だったのね……。滅多なことでは世界樹様から命令が下されることなんてないのよ。あの御方はただこの世界を見守っていらっしゃるのみなのに、その世界樹様が、エフィを追放にしろとおっしゃったなんて」
 娘の行く末を案じ、エフィルメの顔に翳りが射した。
「どうしてあの娘なのかしらね……」
 そういって寂しそうに笑う顔は、どこにでもいる子供を案じる一人の母親のものだった。
「長老様方もわたしたちも……みんなエフィがどんな娘か知っているわ。あの娘がどんなに優しいか。貴方を助けたのも、あの娘の優しさだなんて、みんなわかってるの。だから、本来なら追放になんてなるはずもないの。でも……世界樹様がおっしゃったから……誰も逆らえなかったのよ。仕方なく、あの娘の追放が決まってしまった」
 エフィルメは目の前にいるシリウスの存在を完全に忘れ去っているようだった。自分に納得させるかのようにただ規則的に言葉を紡ぐ。「仕方がなかったのだ」と、思い込もうとしている。
 エフィルメにとって、世界樹様も何もなかった。ただ「理不尽に娘を奪われた」としか感じない心。その心を必死で納得させようとしている。
 その様を見ていると、何も知らないシリウスですら辛く思う。
 彼女は今にも泣きそうに見える。
 しかし、彼女は泣かない。
 耐え切れずにシリウスは言った。
「我慢しようとしなくてもいいんですよ。納得しようとしなくてもいい。どうして自分の娘が、と思うのなら、それでいいんです。世界樹だからとか何とか、関係ないです。だって―――――エフィルメさんにとっては、「大切な娘が世界樹によって奪われた」それだけが真実なんでしょう?」
 エフィルメは初めてその場にいるシリウスに気付いたかのように視線を向けた。
「あ……あ………」
 エフィルメは何かと必死に闘っていた。
 娘を奪った世界樹―――――………。

―――――どうしてエフィでなければいけなかったの?
―――――どうして……たった一人の娘を奪ったの?
―――――世界樹様のために娘を産んだんじゃないわ……!

 様々に渦巻く感情。それらは、シリウスの言葉で封印を解かれて一気に暴走する。
 エフィルメは、暴走する感情を抑えようとしていた。
 必死で歯を食いしばる。
 シリウスはそんなエフィルメの様子を見ていられずに、さらに言い募る。
「そうです。おっしゃるとおり、それはまちがいなく宿命です。エフィーリアさんは宿命を背負っていらっしゃる。世界樹が口を出すなんて、それ以外には考えられない。でも、そのことを認めはしても、納得する必要なんてないです! 感情を、無理に抑えようとしないでください……!」
 その言葉が通じたのか、つーっと一筋、エフィルメの両の瞳から涙が零れ落ちた。
 静かに瞳を閉じる。
 そして、そっと瞳を開ける。
 そのまま、彼女は微笑湛えて言った。
「ありがとう、シリウスさん。貴方もさっきおっしゃったとおり、この森を出て行くことがあの娘(こ)の運命だったんです。貴方はそのきっかけにしかすぎなかった。だから……どうかあの娘のことで気に病まないでください」
「ちがっ……そんなつもりで言ったんじゃ……!」
「わかってますよ。貴方のお陰で、わたしも随分気持ちが楽になったわ。ありがとう」
「いえ……こちらこそ」
 何だかわからないが、これでいいのだとシリウスは思った。
 きちんと自分のいいたいことも伝わっているし、彼女の言いたいことも自分に伝わっている。
 心がほわっと暖かかった。


 シリウスは決めた。
「ぼくは、エフィーリアさんを追います」
「え……?」
 エフィルメは見開いた。
「ぼくは、エフィーリアさんを追います。罪悪感とかそんなんじゃない。ないって言ったらうそになるけれど、それでもやっぱり放っておけませんから」
 エフィルメはシリウスの目を見つめる。そして、少年の決意を悟る。
 強張っていた表情が、ゆるゆると笑顔に変わる。
「貴方に任せておけば安心ね。ありがとう……。娘を―――――よろしくお願いします」
 娘への想いを込めた言葉。
 それは、神聖で重たい言葉だった。
 しかし、シリウスは怯まずに黙ってうなずく。想いのすべてを、受け止めようと―――――。
 ここは教会でもどこでもない。しかし、それは誓いに違いなかった。
 森の片隅で、ひっそりとエフィルメは祈り、シリウスは誓う。
 神聖な、誓いの儀式―――――。


―――――ぼくは、必ずエフィーリアを見つけ出す………!

 今はただそれだけだった。

 

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