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「だから、ぼくは、何としてでも奴を止める。―――――たとえ、命を奪うことになろうとも」 シリウスはあの後、だれに言うでもなくポツリとつぶやいた。もちろん、エフィーリアはその物騒な言葉を聞き逃さなかった。あまりにも恐ろしい科白に、心臓が早鐘を打つ。顔から血の気が引いてゆく。 「あ、ごめんね。エフィーリアがいるところでこんなこと言ってしまって。でも……そうでもしなければ、今後は数え切れないくらいの命が奴一人の手によって消えてしまうことになる。間違いない。だから……」 エフィーリアは衝撃を受けていた。まったく自分の知らない世界だ。生き物は、自分と母親や、自分と友達、そして自分とみんなと同じように愛し合って生きているものなのだと信じて疑っていなかったエフィーリアにとっては、シリウスの言葉は天変地異のように驚異的な、そして心の底から恐怖を感じるような事実を彼女に知らしめた。 頭がくらくらする。何だか意識が遠のきそうな感じ。 (……人間って、怖い。……シリウスさんも、怖い) また、涙が滲む。 「あ……泣かないで、エフィーリア。ぼくは……王宮を出ていなければ間違いなく奴に命を狙われる……もしかしたら、ううん、もしかしなくても、殺されてしまう」 エフィーリアは目を瞠る。
(シリウスさんが殺される……?)
――――――いやだ! 死なないで……!
身体中を突き抜けるようにして真っ先に湧き起こったのはこんな感情。
そして、次には―――――、
――――――わかんないよ……人間なんて………なんで、人間は殺し合うの?
もやもやとした、でも心の奥から哀しさが湧き上がる。 いろんな感情が混沌として、何だか居たたまれない。 それでも、一度湧いた疑問は消せなくてエフィーリアはついつい問うてしまう。 「人間たちは、愛しいと思う人はいないの? 殺し合う生き物なの?」 悲しそうな瞳。シリウスは虚を突かれた。 (そうだ……エフィーリアはこういう少女なんだった……) 改めて彼女の純粋さを認識する。 そして、柔らかく微笑んだ。 「ちがうよ。普通の、ほとんど大部分の人間たちは、エフィーリアたちと同じように愛し合いながら生きている」 その言葉にエフィーリアは少なからずほっとした。しかし、残ってしまった疑問はぬぐえない。それが顔に出たのだろう。シリウスはこう付け足した。 「でも、ごく一部には、人を征服すること、人を殺すこと、人をいたぶることに喜びを感じる歪んだ人間もいることも事実なんだ。彼らにはどんな言葉も通じないんだよ。彼らを止めるには、……殺すしかないんだ。そうでなければ、無数の命が失われてしまう。ぼくだって……人を殺したくはないさ」 そう言ってシリウスは痛々しげに微笑んだ。エフィーリアはシリウスの表情(かお)を見て、シリウスの気持ちを理解する。それどころか、心が共鳴してしまって、自分まで痛かった。 「民の上に立つ者として、時としてどんなに辛くても、自分の心を殺さなくてはならないときもあるんだよ」 その言葉は、世間知らずの標本のようなエフィーリアにとっては難しい言葉だったのだけれど、とにかく仕方がないときもある、ということだけは理解した。 (でも、「自分の心を殺さなければならない」なんて、なんて哀しいことなんだろう……) エフィーリアは哀しくて哀しくて、またもや泣きそうになっていた。 「泣き虫だなぁ。エフィーリアは………」 そう言って笑ったシリウスの優しい笑顔を見て、エフィーリアは自分の胸が甘く疼くのを感じた。 ひどく、「愛しい」と思った。
―――――――愛しい?
わたし………この男性(ひと)に恋してる?
―――――――えっ??
―――――――まさか!
―――――――だって…………。
なんで? 理由がない。初めて逢ってから数日しか経ってないのに? なんでこの人が好き?って聞かれたって、答えられない。この人のこと、まだ少ししか知らないのに。 でも。でも。
どきっとした。 初めて名前を呼ばれたときに。 心がほんわかとあったかくて、幸せで幸せで。
あの笑顔を見たときに、……愛しくて愛しくて、仕方がなかった。 心の底から。 自分のすべてを捧げたいと、思ってしまった自分。 なんで?
―――――――恋。
気付いてしまった。自分の気持ちに。 自覚した途端、鼓動が早くなる。有り得ないくらいに。 心臓の音が妙に大きく響く。 (やだ………頬が熱い。これじゃあまるで、わたし恋をしてるみたい)
―――――――ちがうったらちがう!
否定すれど、否定すればするほど早くなる鼓動。
心臓は、思考よりも正直だった。
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