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 今まさに、一人のエルフの少女が森を追放されようとしていた。

「エフィーリアは、汚い人間の若造をこの集落に連れ込み、この神聖な森を汚しおった。よって、エフィーリアはこのエルフの里から追放されるべきじゃと思うが、みなはどう思う?」
「わしもそう思う。エフィのやつ、いくら悪気がないとはいえ、禁忌とされている忌まわしい人間族をこの森に連れ込みおった。おかげで、森の精霊たちがざわめいている」
「そうじゃそうじゃ! 古来より、このエルフの森に人間族を連れ込むと、不吉なことが起こるとか、崇りがあると伝承されておる」
 今まさに、エルフの集落の長老たちが、エフィーリアをエルフの集落から追放するかどうかについての最終会議が行われているところだ。
「待ってください! 長老様方」
 そう言って会議中に席を立ったのは、エフィーリアの母である。
「こら、許可もなく席を立つんじゃない! エフィルメ」
「すみません………! でも、エフィは………エフィーリアは……あの子は、傷ついて今にも死にそうになっていた若者を、親切心から助けたのです! これは、果たして非難されるべきことなのでしょうか?」
 いつの時代のどこの場所でも、親はかわいい我が子のために必死である。それはまた、このエフィルメとて例外ではなかった。エフィルメは、半ば哀願するように、悲鳴に近い声で意見を叫ぶ。
「これ! 長老会議でそなたのような若造が、何の許可もなく発言することは許されんぞ。だまっておれ!」
「すみません! でも……! どうか、お慈悲を。あの子に、悪気はなかったのです。お願いします。どうか……どうか、追放だけは――――!」
「えええええい! うるさい、だまれえいっっ!!」
 一番若い長老が、空気がびりびりと振動するほどの大声で、エフィルメを一喝した。
 かわいい我が子のために必死になるばかり、ついつい我を忘れていたエフィルメも、さすがにびくりと身を震わせておとなしく着席した。
 今までざわざわしていた他の長老の面々も、急に水を打ったように静まり返る。
 しばらく、耐え難い死の沈黙の時間が続く。

 そして、頃合いを見計らったところで、最長寿の長老が、ゆっくりと口を開いた。
「わしも、まだ幼いエフィーリアを「追放」などという残酷な仕打ちはしたくはない。あの子は、わしら長老みんなにとっても、かわいい幼な子じゃ。しかしな、エフィルメ。今回ばかりはどうしても仕方がないのじゃ」
 沈痛な面持ちで長老は言う。
 その、死にも等しい残酷な宣告に、エフィルメの顔からすっと血の気が引いた。
「ど………して………で………す………か?」
 やっとの思いで口に出す。しかし、その声は弱々しく、掠れている。
「あの娘(こ)は、わたしにとっては、大切な大切な、宝石にも勝る一人娘です。夫を亡くして以来、わたしたちは身を寄せ合うようにして、ひっそりと慎ましく、今まで生きてきたつもりです。貧しい生活ながらも、あの娘(こ)は文句一つ言わず、わたしの仕事を手伝ってくれました。こんな生活なのに、本当に朗らかで優しい心を持った娘に育ってくれました。なのに……。そんないい娘(こ)が、なぜ、こんな酷い仕打ちに?」
 そう言ったっきり、感情が昂ぶってエフィルメは言葉を続けられなくなってしまい、しまいにはさめざめと泣き出してしまった。
 さすがの長老たちもかわいそうだと思った。長老たちとて、エフィーリアを心の底から愛しんでいたのだ。だれが好き好んで、このつつましい母娘(おやこ)を不幸にしたいと思うだろう?
「エフィルメよ、聞いておくれ。この世界の始まりの原初より、この森を、ひいては世界を見守ってきた世界樹の精霊様が、そうおっしゃったのじゃ。「エフィーリアをこの森より追放せよ」、と。さすがのわしも、世界樹の聖霊様には逆らえんよ。そして、他の長老たちのことを許してやっておくれ。みな、世界樹の聖霊様が怖いんじゃよ。もちろん、わしも」
 「世界中の聖霊」と聞いて、エフィルメは心底驚いた顔をした。無理もない。何せ、初耳なのだから。
「あの、世界樹の聖霊様が…………」
 畏怖の思いで、エフィルメはつぶやいた。
「でも、なぜ、世界樹の聖霊様のような超越したお方が、私どものような一介のエルフにお関わりになるのです?」
 心底、エフィルメは不思議だった。涙も吹き飛んでしまった。天と地がひっくり返るくらいに、それは驚くべきことだったのだ。
「それは、わしも思うたよ。そして他の長老たちもな。詳しいことは、聖霊様はおっしゃらんかった。ただ、「エフィーリアを追放せよ」とだけお命じになったのだ。しかし、さすがに理由もなく「追放」などという重刑に処するわけにはいかんじゃろ。ましてや、まだ稚い少女を。じゃから、わしらは、エフィーリアの追放の理由を、いわば「でっちあげた」わけじゃよ。詳しい説明もできずにすまんかったの。心配したじゃろう?」
 長老の慈愛のこもった労りの言葉に、エフィルメは静かに涙を流す。
「あの世界樹の聖霊様の命令とあらば、従わないわけにはいかないわけにはまいりませんね………」
 苦々しく、声を絞り出すようにしてそっとつぶやき、苦悶の表情を浮かべる。
「しかしな、エフィルメ。わしは思うのじゃ。あの子には昔から不思議な力があった。そして、そういった不思議な宿命のようなものを、あの子が生まれたときから、わしは薄々感じ取っておった。今は、おそらくあの子の「宿命」の時なんじゃ。あの子は、世界に望まれておるのだよ。だから、そのことを誇りに思うといい」
「有難うございます、長老様………!」
 長老の優しさに、エフィルメは心の底から感謝の言葉を述べた。
 そして最後に、長老はこう付け加えた。
「エフィルメ。ただし、このことはエフィーリアには言うでないぞ。あまりにも、過酷な宿命じゃからの。今は、本人は「追放」という酷い現実に対処するだけで精一杯じゃろうて」
 それに、エフィルメはだまってうなずいた。
 
 もちろん、エフィーリアもそうだが、エフィルメもまた、苦悩していた。もちろん、世界に求められることは歓迎すべきことである。しかしエフィルメは、子供を持つ一人の母親として本心ではエフィーリアを危険な目に遭わせたくはなかった。普通のエルフと同様に、一生この森で平凡に幸せに生きてほしかった。

 なぜ、あの娘が世界に求められてしまったのか?
 なぜ、あのエフィーリアでなければならないのか?

 エフィルメは、たとえ世界樹といえど、大切な子供を奪った世界樹が憎たらしかった。

 果たして、あのような頼りない娘が、過酷な宿命に耐えられるのだろうか?

 母の心配は尽きない。こうなってしまった以上、ただ一つ願うことは、


――――――――世界樹の聖霊様。貴方がわたしの大切な娘を駆り出したのですから、どうか、あの子の命だけは、何があってもお守りくださいませ……………!

 

 

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